すべての学びはつながっている

  コロナ禍が始まる以前には、私はよく中国や中華圏を旅していました。中国の様々な文物や気候風土が、日本史を考える上で大変参考になる、と考えるからです。2019年には余暇も含めて、1年の間に中国辺検(出入国審査)を5往復もしました。
  中国を旅行するときに必要なのは中国語(「中文」や「汉语」と言います)の力です(当たり前だけど)。最近は状況も変わってきましたが、一昔前の中国の街中では、英語はほとんど通じませんでした。だからこそ、(ある程度)自由に旅をしたい、地元で人気のお店に行ってみたい、という欲望をかなえたければ、中国語力が大事なのです。
  ところが困ったことに、計画性のかけらも無い私は、学生時代にドイツ語選択で、中国語を勉強したことがありませんでした。日本史を専門として勉強することになり、後からその重要性に気づいたのでした(時すでに遅し!)。

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  でもこの遅れが、かえって中国語の学習に役立ったなと思うこともあります。なぜならば、日本史の研究で使う史料の中には、現代中国語に「似ている」ポイントがたくさんあるからです。例えば、現代中国には「商量」(シャンリャン)という言葉があり、考える/検討するといった意味で使われます。一方、日本古代の史料の中には「臣等商量・・・」(臣等商量スルニ・・・)という表現が登場する事があります。公卿たちが天皇に対して、「私たちが考えてみますと/検討してみますと・・・」と提案をするフレーズです。同じですね。
  また現代の中国大陸では、簡体字(ジェンティーズー)と呼ばれる、日本の常用漢字とは少し違った漢字表記を用います。例えば「愛」は「爱」、「車」は「车」と書きます。初代の国家主席として有名な「毛沢東」は「毛泽东」です。簡体字は、日本語のようにひらがなやカタカナを持たない漢字だらけの中国語を、少しでもラクに書こうという工夫で、発音に注目した省略や、漢字の一部パーツの省略など、いくつかの法則があるのですが、その中には、「字を筆で書いていた時代の省略法(書体)」を取り入れたものも存在します。
  ところで、つい最近まで(あるいは今も)、日本でも(漢)字は手書きでした。日本史の史料として大切な古文書も、当然、当時の人が筆で書いたものです。ですから、そこに記された文字は、学校で習うようなきれいな字体ではなく、一見すると何が書かれているかよく分からない「くずし字」で書かれています。このくずし字が読めるようにならないと日本史の研究は難しいため、山大人文学部の学生たちも「くずし字」の授業で必死になって勉強しています。
  実はくずし字にも、中国語と「似ている」ところがあります。鎌倉時代や室町時代には「関東」という言葉が頻出するのですが、この「東」という字は、くずし字では「东」と書かれます。さきほどご紹介した「毛泽东(毛沢東)」の「东」と一緒ですね。他にも「书」(書)などが、日本の古文書のくずし字によく似ています。簡体字を覚えておくと、古文書読解にも役立ちます。
(私の場合は、日本古代漢文の表現や中世文書のくずし字が、中国語の勉強に役立った、という逆パターンでした)

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  漢字を使うことのできる日本人にとっては、中国語学習の難関は発音と聞き取りでしょう。自分で発音できない言葉は、他者がしゃべっても聞き取れませんから、両者は連動していると考えていいと思います。特に、中国語には日本語には無い母音があるため、日本語話者が中国語の発音を身につけるには、それなりの時間と努力が必要です。私も練習しましたが、私の場合は比較的スムーズに、この難関を突破できたように思います。
  上達のきっかけは何だったのだろう。自分でもよく分からないのですが、一つだけ思い当たるフシがあります。それは、ドイツ語の発音練習です。といっても、ドイツ語はフランス語と違って、基本的にはアルファベートを書いてある通りに読めばいいのだから、ほとんど難しいことはなかったのですが、ウムラウトの発音練習の時間が多かった記憶があります。「語」・「魚」・「玉」、そして私の名前にも入っている「羽」は、中国語で「yu」と発音しますが、これはドイツ語の「ü」にそっくり。また発音は異なりますが、中国語の「e」の発音(日本人には難しい)は、口の形と舌の位置を考えるという点では、ドイツ語の「ö」の発音と「発想が同じ」だな、と思いながら中国語の発音練習をしました。ドイツ語学習時代の遙かな記憶が、役に立ったのかもしれません。
(ここに書いたことは、いち学習者としての印象で、言語学や音声学などの観点から正しいかどうかは分かりません)

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  勉強を始めるのに、遅すぎる、ということはありません。遠回りをしたときに蓄えておいた力が、ふとした瞬間に役立つこともあるのです。高校時代に理系だった人も、あるいは日本史Bを選択しなかった人も、あなたのやる気さえあれば、大学に入ってから、新たに日本史を始めることだって可能です。いやむしろ、あなたが「遠回り」して学んできた「数学」や「地学」や「化学」、「世界史」や「地理」の知識は、他の人にはない、大いなる武器になるかもしれません。かく言う私も、リトマス試験紙やガイガーカウンターで色々と計測するのが大好きな理系少年でした。高校時代は数学が好きで、友人に誘われて物理部というクラブで活動していました。キムワイプ**とお友だちだったあの頃の実験や工作は、間違いなく、私の歴史研究の原点です。
  歴史学は(みなさんの予想に反し?)、使えるものは何でも使って、答えにたどり着こうとする、雑食系のたくましい学問です。いまある力、様々なものをうまく組み合わせて、目の前の問題を解決する「総合力」。歴史学のワザは、あなたがそれをしっかりと体得しさえすれば、社会に出た時にも、その力は十分に活かされると私は確信しています。

*ガイガーカウンターは放射線測定器のことです。311の原発事故後にはよく知られるようになりましたが、私が子どもの頃にはまだ一般的ではなく、とある研究機関から「はかるくん」という名のそれを借りて使ったのが、懐かしい思い出です。

**キムワイプは実験用の紙製ワイパーで、理系の人なら誰でも知っている、といっても過言ではない、実験に不可欠のアイテムです。