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G 高木 智見

  • 2010-06-03 (Thu)

空気を読まない人々(文:高木智見)

 古代中国には魅力に富む人物が多くいる。最近私が気になっているのは、次のような人々である。尾生高という人物は、女友達と橋の下で待ち合わせをして、突然、鉄砲水が襲ってきた時、約束を守り、そのまま待ち続けて溺死した。楚の昭王の夫人・貞姜は、宮殿が大水に襲われた時、救助に来た使者が、王の迎えであることを示す竹製の割符を持参していなかった。この生死の分かれ目に臨んだ彼女は、「貞女の義は、約を犯さず」として、割符を取りに戻らせ、結局、水に流されて死んだ。さらに袁旌目(えんせいもく)という廉潔な人物は、飢えて行き倒れとなるが、通りがかりの人に介抱されて息を吹き返す。しかし、水と食糧を与えてくれた命の恩人が、実は、あたりの盗賊であることを知ると、「分かっておれば、食らわぬものを」と言い、兩手を地につき懸命に吐き続けて死んだ。このほかにも同じような人々は多くいるが、愚かとしか言いようがない彼らの過剰な生き様に、一面で、胸がすくような爽快感を強く感ずるのは、私一人であろうか。

 自らの価値観や役割を徹底的に貫き通し、そのためには生命の犠牲をも厭わない。こうした思想を、古代中国の人々は「廉」なる語によって表した。廉の思想は、中国史上、最大の変動期である戦国時代に登場した。古い価値観が崩壊し、新たなる秩序が創出される時、変化に順応する柔軟性・現実性が求められるのは当然である。しかし、その反面、自らの信念を曲げずに貫徹することもまた同様に重視されねばならない。なぜなら、古い価値観を死守する場合には言うまでもなく、新たなる価値観に基づき変化を実現するためにも、変革するという信念の貫徹が不可欠だからである。信念・信条は、自己の行動を律するそれと、他者との関係性において機能するそれとに分けることができる。古代中国において、前者は「廉」、後者は「信」なる文字で表現された。

 空気を読むことを推奨する現在の日本において、「破廉恥」や「恥を知る」といった語は、もはや死語と化した。しかし、一人前の人物のことを指す「ひとかど」を、かつては「一廉(廉の本義はカド)」と記したことが物語るように、過去の日本では、このような生き様こそが尊ばれていたのである。

(次回は坪郷先生です。)

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高木 智見

人間はいかに生き、社会はどうあるべきか。我々が最も欲するその答えを、中国の哲人達はすでに用意している。

【コース】

哲学コース

【分野】

東洋思想史

【研究領域】

中国古代思想、中国古代史、日本における中国研究史

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