人文学とマッサージ(文:尾崎千佳)

 人ごとにストレス解消の方法はさまざまだろうが、わたしの場合、マッサージにしくはない。というのも、先天的な腰椎異常と、つい前傾姿勢をとってしまう悪癖のために、肩凝りと腰痛には常に悩まされているからである。書き物がかさんでバキバキに痛む体をひきずって、山口市内の某マッサージ店に駆け込んだある夜のことである。いい具合にうつぶせになって肩腰を揉んで貰っているとき、さっきまで「お客さま」とわたしを呼んでいた施術者の若い女性が、「尾崎先生は肩凝りのほうですか」と、ぽろりと言った。驚いてやおら飛び起き、どうしてわたしが〈先生〉だと知っているのか問い詰めたところ、何と、わが山口大学人文学部の卒業生だと言うではないか。違う学科の所属だったので、わたしの授業は受けた経験がないと言う。こちらは彼女の顔を知らないが、向こうは受付の段階からわたしのことを認識していたというわけである。恐ろしい話である。狼狽を隠すついでに専攻まで聞き出したところ、日本中世史で卒論を書いたという話を聞かせてくれ、それからの小半時、中世史に思いを馳せながら体を揉まれるという不思議な体験をした。

 唐突に話題は変わるが、当今の学生のみなさんは、誰しも、就職をいちばんの関心事としていることだろう。そして、人文学部の学生はとりわけ不利な戦いを強いられてもいるだろう。それはあながち時勢のせいばかりでもなく、わたしが文学部の学生であった15年前でも、同じ学部の学友の誰にも、就職活動を有利に展開している者などいなかった。しかしながら、今の人文学部生のみなさんをことさら気の毒に思うのは、職業というものが極端に重視されている昨今の風潮のゆえである。もちろん、わたしの学生時代でも、大人たちは、〈将来何になりたいか?〉という問いをしばしば投げかけてきはしたが、それに答える若者の大言壮語もモラトリアムも、今よりはずいぶん許容されていたように思う。

 〈将来何になりたいか?〉という問いは、〈高校の先生〉とか〈自動車会社の営業〉とかいった答えを、つまり将来就きたい職種について答えることを、無言のうちに要請している。〈正義の味方〉とか〈かわいいお婆ちゃん〉などと答えては、嘲笑されるに決まっている。だが、10代20代の頃から自分の職業を心に思い定めてひたすらそれに向かって生きる生き方は、果たして自然なことなのだろうか。それはほんとうに強くまっとうな生き方と言えるのか。先生にもさまざまな先生があり、営業にもさまざまな営業があるのであって、職業の選択は生き方の選択と同義ではないはずである。

 人文学部の学問は、ほとんどの場合、それを修めた結果が職業に直結してはいない。もちろん、講読や演習で養われたリサーチやプレゼンテーションの能力は、社会に出たとき必ずや役に立つとわたしは信じているが、世の中が発する〈将来何になりたいか?〉という問いの前では、それが技術的な問題に過ぎないこともまた事実である。けれども、〈将来何になりたいか?〉という問いを、職業とは別のコードで答え得る精神を培うのは、人文学の効用のひとつだろう。上司や世間の言うなりになるのではなく、目の前の現象の奥に潜む本質を見抜き、自ら答えを探り当てて行動できるのがほんとうの社会人であるなら、人文学部で学んだ皆さんには、他のどの学部で学んだ誰よりも、社会のあらゆる場で活躍できる力が身についているはずである。

 マッサージの彼女が、どういう理由と動機でその道に進んだのかはわからない。卒論は中世史で書いたという話を聞き、それがマッサージとはまったく無縁の世界であることは承知しつつ、そのとき、〈なぜマッサージの世界に進んだの?〉という問いは、頭にまったく浮かばなかった。身びいきの感想かも知れないが、この人はなるほど人文学を修めた人なのだろうなと妙に納得させられるような、丁寧で濃やかな仕事をしてくれた。
日本の、また世界の、驚くべき場所で、たくさんの人文学部の卒業生と出会う日を夢想しつつ、就活中の学生たちに心からエールを送りたい。

(次回は富平先生です。)