人生、何がどこで役立つか分かりません(文:太田 聡)

 私の出身地は、福岡県東部の山あいの辺鄙な場所で、映画館や美術館・博物館などはもちろんのこと、本屋すらまともにないような文化の(妻に言わせれば“本物の”)過疎地でした。子供の頃は毎日、裏の山や前の川や田んぼですこぶるワイルドに過ごし、文化とか教養とかとはまったく無縁な感じで育ちました。学校の勉強もしっかりビリ争いで、小学校の担任の先生からは、「お前みたいな奴はヤクザにしかならない」、「高校には行けない」とレッテルを貼られていました。そんな劣等小学生の私でしたが、近所の友だちと遊ぶ約束がなくて一人のときには、二つほど密かなる楽しみがありました。それは、姉の集めた洋楽のレコードをこっそり聴くことと、離れにあった『少年少女世界の名作文学』という全集をパラパラとめくって読んでみることでした。外で遊ぶことの方がはるかに好きだった私は、読書はかなり苦手でした。ところが、理由は思い出せないのですが、なぜだかこの文学全集の中のフランス編が妙に気に入ってしまい、フランスという国にもだんだん興味が湧いたのを覚えています。(たまたまフランス編に収載された作品のストーリーが、愚鈍な私にも理解しやすい単純なものが多かっただけかもしれませんが。)その後も、私が中学生・高校生の頃には、フランスの作家フランソワーズ・サガンが(再び)流行ったり、ミッシェル・ポルナレフというフランスのポップスシンガーが一世を風靡したりしました。それでいよいよ、「大学に行ったらフランス語やフランス文学の勉強をしよう」と決めました。(実は、これにはもう一つの大きな理由がありました。生来ひねくれ者の私は、みんなと同じであることが嫌いだったので、多くの人が飛びつく英語の勉強ではなくて、少数派のフランス語専攻の方がカッコいいと思ったのでした。)ところが、いざ大学生になって、フランス文学の先生の授業を受けてみると、しばしばがっかりさせられました。やはり、その分野が好きになれるかどうかは、そのときの担当の先生次第ということがよくありますよね。で、迷った末、裏切り者になったような後ろめたさを感じつつも、私は専攻を英文科の方に変えてしまったのでした。結局、フランス語やフランス文学の勉強は入り口にも達しないような状態で終わってしまいましたが、ほんの少しだけでもかじってよかったと思うこともときにはありました。そしてその最たるものは、妻と知り合ったことです。専攻も学年も違った妻とは授業が重なったりはしないはずでしたが、たまたま二人が同じフランス語の授業を取ったことが、知り合うきっかけになりました。となると、今の妻と巡り合ったきっかけは、子供のときに、実家の離れの本棚にあった本をたまたま手にしたことだったのか……、などと不思議な気がしてきます。
 閑話休題。その後、学部生時代の私は英文科で学ぶことになったわけですが、そこで勉強したことは、大学院時代や今の私の専門分野である言語学とはだいぶ隔たりがありました。授業のほとんどは、ひたすら英米の文学作品を読むことでした。そして、英文専攻生であるからには、翻訳でも構わないから、英米の有名作家の代表的な作品はできるだけ読むよう指導されました。はっきり言って、この時期は私には苦痛で、学ぶ喜びを感じられませんでした。感性の乏しい私は、ことばから編み出された作品である文学を論じるよりは、ことばそのものの構造や法則を探ることの方に興味が移ってしまっていました。ですから、「こんな本を読んでいて、何の役に立つことやら」と、仕方なく修業に耐えているような気分で日々を過ごしました。しかし、そのときは時間の浪費のようにしか思えなかったことでも、決して無駄ではなかったなと、何十年もしてからジワリと感じることがあります。一昨年でしたか、家内が、山口市内の英会話教室で働いているダニエル君というまだ年若い講師と偶然知り合いになりました。そして、「アメリカの味が恋しいだろうから、一緒に行きましょう」と家内がそのダニエルを誘って、福岡にあるコストコという(アメリカのCostcoと全く同じ商品や食べ物を売ってある)お店に買い物に出掛けました。そして私の運転する車中で、彼の出身地を尋ねると、カリフォルニア州のフレズノとのことでした。それで、話を続けなくてはというサービス精神から、ちょっと余計なことかなと思いつつも、私は「フレズノにはアルメニア系の人が多いのですか?」と尋ねてみました。すると彼がびっくりして、「どうしてあなたはそんなことを知っているのですか? フレズノに来たことがあるのですか? 僕の母もアルメニア系ですし、たしかにあの町にはアルメニア系の人が多いです」と答え、その後も色々と話が盛り上がり、すっかり打ち解けてしまいました。私は、セコイア国立公園に行くときにフレズノの郊外を車で通り過ぎたことはありますが、フレズノの町に入ったことはありません。でも、学部生の頃に読んだウィリアム・サローヤンの作品の中に、フレズノが舞台で、主人公がアルメニア系移民というものがあったというかすかな記憶をたどりながら、ダニエルと話したのでした。
 近年は、大学の英語教育もTOEICなどを取り入れたものが中心になってきて、昔のように短編小説を読むような授業はすっかり減ってしまいました。でも、アメリカ人と話すときなどに、例えば、「TOEICで900点以上取ったことがあります」というような話をしても、一応「すごいですね」とは言ってもらえるかもしれませんが、それ以上に話が盛り上がったり、続いたりはしそうにありません。逆の場合を考えてみましょう。私たちが外国の人と接したときに、例えば、Aさんは日本語の試験ですごく高い点数を取った人で、日本語がかなり流暢だとしましょう。一方、Bさんは日本語がそれほど流暢ではありませんが、こちらが「山口市に住んでいます」と自己紹介すると、「あ、中也なら読んだことがあります」という答えが返ってきたとしましょう。みなさんはどちらに教養を感じますか? 私なら後者です。
 世の中が余裕のないせちがらいものになってくると、一生のうちに一回くらい話のネタとして役立つかも…、というような教養を重んじるゆとりが失われて、手っ取り早く資格や点数ばかりが求められてしまいます。私は、仕事としては文学とは無関係なことをやっていますが、外国人を含めたいろんな人との付き合いの中で案外役に立っているのは、専門のことよりはむしろ、その昔仕方なく読んだ詩や小説の記憶だったりすることがままあります。一見したところ無駄で、単なる自己満足にしか思えないようなものを沢山積み重ねた先にあるものが、本当は大切なものなのだと気づけた人は、きっと幸いな人です。世の中がこれ以上下種になりませんように。