ことばの入門(文:更科慎一)

 語学の勉強は、「こんにちは」というあいさつ言葉から入るものと決まっている。海外旅行先などで、その土地の言葉を誰かから教えてもらおうと思えば、多くの人は「こんにちは」を何と言いますか、とまず聞くのではないだろうか。「こんにちは」こそ、世界中の言語において最も普遍的なあいさつ言葉だと思われている。ところが、いろいろな言語の語学書を見ると、「こんにちは」にあたるあいさつ言葉はあるにはあるが、それはよそ行きの表現であるとか、その土地の人同士ではあまり使われない、というような言語が多い。例えば中国語の「你好」(ニー・ハオ)は、日本でも広く知られているが、中国人の日常生活の中では、あまり使われない。日本語の「こんにちは」自体、家族間や友達同士では、なかなか使いづらいものである。「こんにちは」を意味するあいさつ言葉は、おそらく近代の西欧で発明され、近代化の一環として、既存の類似表現があてはめられたり、ある場合には全く新しく翻訳されたりして、世界各地に広まったものであろう。
したがって、近代の工業文明の洗礼を受けていない、例えば文字を持たないような少数言語では、「こんにちは」にあたるあいさつ言葉は、ないと思った方がよい。先日テレビで、南米最南端の町に住む先住民族ヤーガンを訪ねるドキュメンタリーを見た。旅人を演じている人が、今や最後の純粋なヤーガンとなったという女性からヤーガン語を教えてもらうシーンが出てくるが、多分に漏れず、最初に「こんにちは」は何と言いますか、と尋ねていた。案の定、その女性は「そういう表現はない」と答えていた。
「大黄河」というNHKの1980年代のドキュメンタリー番組の中に、中国西部の甘粛省に住む保安(パオアン)族という少数民族が取り上げられている。取材班と呼ばれる人たちが村に入り、保安語を聞き出す場面があるのだが、まず聞き出していたのがやはり、「こんにちは」は何と言うか、であった。集まった村の人々の一人が、はにかみながら、「チー・サン!」だと答える。保安語は、話し手の数は確かに少ないけれども、秘境に話される謎の言語などではなく、だいぶ変わり果ててはいるもののモンゴル語の系統だということがすでに分かっていて、文法や辞書などの研究成果も少なからず出ている。だから「チー」は「あなた、お前」で「サン」は「良い」の意味であるということはすぐにわかる。これは中国語の你好(直訳は「あなたは良い」)のなぞり表現にほかならず、保安族の人たちの間でこの表現が日常的に使われているとは考えにくい。実際中国に話される少数民族言語では、モンゴル語のTaa sain uu?(ター・サイノー?)やウイグル語のYahximi siz?(ヤフシミ・スズ?)のように、「こんにちは」を「あなたは良いか」のように言い表す言語があって、これも中国語をなぞった表現と思われる(「你好」には疑問形バージョン「你好嗎?(ニー・ハオ・マ)」が存在する)。
以前、中国南部の広西チワン族自治区で、侗(トン)語というタイ語の遠縁にあたる言語をほんの一日だけ調査したとき、調査に協力してくれた侗族の男性が、私に日本語を「逆調査」しはじめたことがあった。彼が尋ねていたのは、「働く」を日本語で何と言うかとか、「飯を食う」を日本語で何と言うかとか、徹頭徹尾動詞句で、「こんにちはを何と言いますか」などとは聞いてこなかった。これこそが外国語学習の健全な姿勢なのではないか、と思ったものだった。
語学の教科書の第一ページにどんな言葉が載っているかは、いろんな言語を学ぼうとして語学書を買い込み、初めの課で挫折することを繰り返している人間にとって、なかなか面白い問題である。西洋諸語の文法書は、最初の課で動詞の直説法現在人称変化を示すパターンが多い。ここで例としてどの動詞を示すかには伝統があるようで、ギリシャ語ならπαιδεύω「教育する」、ラテン語ならamō「愛する」がよく出てくる。かつてロシア語の教科書のごく最初の方に出てきた動詞にработать「働く」があり、いかにも労働者の国らしいと思ったものだった。社会主義時代のアルバニア語の入門書にもpunoj「働く」がよく出てくるのは、ソビエトのやり方にならったものであろう。
かつて朝鮮で作られた中国語会話の本に『老乞大』があり、すぐれた語学者の崔世珍が16世紀初めに朝鮮語訳とハングルによる音注を施して編纂した『翻訳老乞大』をはじめとするいくつかの改訂版が知られていたが、1998年になって、より古い、中国語原文だけの版本が発見された。言語的特徴や内容から、原文はだいたい14世紀ごろに成立したとみられている。その冒頭の文は、「伴當,恁從那裏來?」(旅の人、お前さんどこから来なすった?)であって(金文京、玄幸子、佐藤晴彦訳『老乞大』、平凡社東洋文庫699、2002年。原文・日本語訳文とも本書による)、「こんにちは」ではない。ちなみに、戦前の日本で非常によく使われた中国語会話の本『急就篇』問答部分の冒頭のやりとりは「来了嗎?――来了」(来ましたか?――来ました)であった。
「あなたはどこから来ましたか」で始まる会話の本のパタンは、現在の中国で作られている漢民族と少数民族の言語の対訳会話書にもみられる。例えば『涼山彝語会話六百句』(四川民族出版社、1981年)という彝(い)族の言語の会話書の場合、最初の課の最初の会話はこうである。

Qop bbop, ne katgo da la?(チョボ、ヌ・カコ・タ・ラ)
「同志、あなたはどこから来たのか」
Nga Juojjop lurkur da la.(ンガ・チョジョ・ルク・タ・ラ)
「私は昭覚(地名)から来た」

また、『蒙古語音標会話読本』(内蒙古人民出版社、1981年)というモンゴル語の会話書の場合、最初に、先に述べた「ター・サイノー」(こんにちは)の応酬があり、それに続いて次のやり取りがある。

Taa xaanaas ireb?(ター・ハーナース・イルプ)
「あなたはどこから来たのか」
Bii Bootoos irsen.(ビー・ボートース・イルスン)
「私は包頭(地名)から来た」

一般に、会話書は、単に常用する単語と基本的な文法事項が盛り込まれるだけでなく、読者として想定された人々が欲するような様々な他の情報が盛り込まれるものである。『老乞大』はその点でも大変よくできており、当時商売をするために中国にまで出かけていた高麗や朝鮮王朝の人々の参考になるよう、商取引や宿泊の様子などが生き生きと描かれていて、商品の値段や名称などの記述も大変詳しいのである。一方、現代中国で出ている漢語(少数民族語に対して中国語を言う、以下同じ)と少数民族語の会話書の中には、党幹部用のものや一般人向けのものがあり、中でも少数民族の人が漢語を学ぶための会話書には、我々が一般に外国語会話の勉強に対して抱くのとはかなり違うイメージの内容を持つものがある。例えば雲南省徳宏州の傣(たい)族が漢語を学ぶために作られた「傣語漢語会話対照」(雲南民族出版社、1990年)には「人体器官について話す」「農具」というような課がある。また、トンパ象形文字で有名な納西(ナシ)族が漢語を学ぶために作られた「納漢会話」(雲南民族出版社、1990年)には、唐辛子とにんにくが人体にどのような効果を与えるものであるかについての会話である「唐辛子とにんにく」、地震の起こる原因やその被害について述べ、地震が地下の大亀によって引き起こされるとするのは単なる伝説にすぎないと説く「地震」、まぶたのけいれんは吉凶とは何の関係もないと説きその予防などを教える「まぶたのけいれん」といったタイトルの課がある。これは、要するに、会話書の形式を借りて、少数民族に科学知識や生産生活の知識を教える読本になっているのであり、少数民族にとって、漢語を学ぶことが自らの「現代化」につながるということを端的に示している。いずれも少し古い書であり、21世紀初頭の今日では、傣族や納西族を取り巻く状況は少し違っているかもしれないが、中国の少数民族にとって漢語学習がもつ意味は、現在も変わっていないと思われる。

侗族の村