災害と社会学(文:横田 尚俊)

 20年前に発生した阪神・淡路大震災は、文字通りの都市災害であり、6400人を超える犠牲者を出す「戦後最悪の大災害」であったが、4年半前、不幸にもそれをはるかに超える規模の巨大災害が発生した。東日本大震災は、わが日本において、まさに未曾有ともいうべき、広域かつ甚大な被害をもたらす大惨事であった。それは、政府・経済界や多くの専門家が安全だとしてきた、原発の事故を伴う複合災害であったという意味でも未曾有であり、その苦難は現在も続いている。
こうした大規模災害以外にも、地震、火山噴火などによる被害が、近年、全国で続発している。梅雨時や台風の襲来とともに毎年のように発生する豪雨災害は、西日本で生活するわれわれにとっても身近な脅威である。「南海トラフ巨大地震」の発生も懸念される中、災害国・日本に生きるわれわれは、足下の脆弱性をいっそう痛感せずにはいられない。
災害発生のメカニズムと建築物・構造物被害の解明や、ハード面での防災・減災対策などを目的とした災害研究は、いうまでもなく自然科学の分野で行われている。他方で、災害研究の中では、災害因(自然現象)と災害(人間、社会に対する被害)とを概念的に区別したり、災害をハザードと当該社会の脆弱性(vulnerability)、回復・復元力(resilience)との「関数」として捉えたりする見方(たとえば、B.ワイズナーら)が一般化してきた。災害因やハザード(危険現象)が発生した場合にも、(それらが襲う)社会・文化の構造や人間行動のあり方によって、被害の様相は大きく異なるし、被災者・被災地の生活再建・復興のスピードや質もまた、社会・文化的な諸要因によって左右されるのである。
災害時における人間行動の特質とその規定要因や、災害とコミュニティ・社会構造との関係に関する研究は、日本でも1970年代後半以降、心理学や社会学の分野で盛んに行われるようになった。私自身は、1980年代半ば以降、ふとしたきっかけで災害社会学の領域に足を踏み入れることとなり、阪神・淡路大震災の際には、現地調査を積み重ねることによって、コミュニティの災害対応力に関するいくつかの知見をまとめた。
周知のように、阪神・淡路大震災では、大量のボランティアによる被災者支援活動が大きな注目を浴び、1995年は「ボランティア元年」と呼ばれるようになった。被災者の生活を支援したり、被災地の行政・専門機関やコミュニティの機能を補完したりするのが災害ボランティア・NPOの役割だが、東日本大震災では、それらのみならず多様なセクターが連携・協力しながら支援のネットワークを形成する動きが広範囲に生じた。その一つが自治体間支援である。自治体間支援というと、警察・消防をはじめとする行政組織間の支援を連想する人が多いかもしれないが、私たちが注目したのは、自治体行政と地域住民組織や市民活動グループ(ボランティアやNPO)、企業組織など多様な主体が創発的にネットワークを形成し、被災者・被災地、原発避難者を支援する取り組み(「ガバナンス型支援」)であった。それらは、緊急対応から現在も持続して行われている中・長期的な活動に至るまで、多彩な内容により構成されている。
自治体間支援のタイプと機能、その促進条件やフィードバック効果(支援活動や支援態勢づくりが、今度は支援をした自治体・地域社会にどのような影響を及ぼすのか)などを解明するために、2年前から他大学の研究者とチームを組んで、自治体間支援に関する調査研究を行っているところである。山口大学内部でも、高橋征仁人文学部教授を代表とする研究推進体にメンバーとして加えていただき、研究を続けている。
被災コミュニティの研究にせよ、自治体間支援の研究にせよ、防災・減災対策に「すぐに役立つ」という性格のものではないが、災害の特質がハザードと社会の脆弱性、回復・復元力との関係によって規定される以上、災害社会学は、災害現象をトータルに解明する上で必要不可欠なアプローチを提供しているといえよう。


(2005年3月に発生した福岡県西方沖地震で壊滅的な被害を受けたが、コミュニティで団結して「3年以内の復興・帰還」を実現した福岡市・玄界島。2010年11月17日に横田が撮影)

『山口大学環境報告書2015』より転載