学会巡りーlingua francaとバベルの塔(文:フランツ・ヒンターエーダー・エムデ)

通常は一つの学会で研究発表したら「万歳!」というところだが、この夏は色々と事情が重なってまるで学会巡りになった。というのは、所属している二つの学会の国際大会が1週間をおいて開催されたからである。一つは、ドイツ語学・文学国際学会(IVG)が7月30日から8月7日までポーランドのワルシャワ大学で行われ、もう一つは、国際比較文学大会(ICLA)がソウルの中央大学で8月15日から21日まで開催された。2つの大会が、同じ年に開かれることは15年ぶりである。IVG大会は5年毎、ICLA大会は3年毎に行われるからである。
大学の仕事の関係でどちらにも行けない可能性もあったけれども、一つだけでも参加出来たらと思って、とりあえず両方にエントリーしてみた。すると両方から許可が届き、思いがけず両方の大会に参加が出来ることになった。さらに7月下旬にドイツ学術交流会(DAAD)からIVGのプレーイベントにも声がかった。「さあ、準備は大変!前期の真っ最中」である。前期の成績の採点提出、片方の発表の英語ネーティブチェック、海外出張のための諸手続きなどはすべて、日本を出国する前までに済まさなければならない。ぎっしりした日程を組んで、事務の方々にもお助けいただき、何とか間に合った。
最初のベルリンのDAADの集会には、アフリカのジンバブエ、南米のチリとブラジル、オーストラリア、マレーシア、イタリア、韓国や日本など世界中からドイツ語・ドイツ文化関係の先生たちが集まり、世界のドイツ語教育の経験について意見交換を行った。それぞれの国の状況や大学教育の雰囲気は違っていて、大変参考になった。特にはしゃぎや笑い声に溢れるアフリカの教室のビデオが記憶に残っている。
しかし、いざポーランドへの出発となると発表のことがやや気になった。どういうわけか、両大会とも私の発表日は最終日の前日になったからである。数多くの発表や講演を聞き、大会の文化プログラムのコンサート、演劇や見学などを先に満喫した後に、ようやく自分の仕事がまわってくることになる。本末転倒の順番で落ち着かなかった。ところが実際には、発表の会場を下見することで設備のチェックができ、また所属するセクションの参加者とも会話ができたことで、大会の雰囲気にも慣れ、逆に発表がやりやすいことが後になって分かった。
ワルシャワは初めて訪れたこともあって、大学の立派な建物や街の明るい雰囲気に魅かれた。ポーランド人たちもとても親切だった。第2次大戦でドイツ軍によって焦土となった旧市街が戦後間もなく復元されたが、街を歩くと心が重くなる。記念館になっているマリア・スクウォドフスカ=キュリー、即ちキュリー夫人の実家は、旧市街のすぐ近くにあって見学した。同じワルシャワ出身のフレデリック・ショパンの生誕200年の数々の記念コンサートのポスターが街中に貼られていて目にとまった。学会でも立派な旧図書館の大ホールでショパン・コンサートを鑑賞する機会に恵まれた。ショパンはワルシャワ大学でも学び、パリで49歳の若さで亡くなった。その後大学正門の向こう側にある聖十字架教会の柱の中に、本人の希望で心臓が納められた。
大学の近くには他に大統領官邸があり、今年4月に飛行機事故で亡くなられた反ドイツの前大統領の追悼のために多くの人たちが集まっていた。穏健派の後任者の宣誓就任式が8月6日に行われた。暴動を警戒して街中に軍隊や警察が出動していて緊張感が高まっていたが、無事その日に新大統領が誕生した。この街の深く傷ついた歴史を考えると、世界各地からドイツ言語学やドイツ文学の学者がワルシャワ大学の呼掛けでポーランドの首都に集まるのは、平和への希望を感じさせ、とても興味深いことである。国籍とか肌の色や服装などは様々であるが、この学会に限っては共通語がドイツ語である。
これと対照的にソウルの比較文学会の大会は、色々な言葉で溢れる多言語的な雰囲気に満ちていた。同じ人が英語で発表して、スペイン語でディスカッションをし、司会とはドイツ語で会話するという具合である。あるイタリア人はスペイン語で発表し、しかもその間時々内容を英語でまとめる。ある人はスイス人と思っていたら、実はウィーンで勉強したアメリカ人で、相手に応じてドイツ語、スペイン語、ポルトガル語、フランス語や韓国語で自由自在に話しかける。学会では英語がメインであるが、発表の言語としては他にフランス語と韓国語もある。この中には私が解る言語が必ずある。だがソウル市内に出かけると、文字もことばも全く分からない。実は、発表の準備で精いっぱいで、ポーランド語でも韓国語でも挨拶やお礼の表現さえ用意せずに無知蒙昧のままに出かけた。従って、仕事柄「外国語」を教える者として、久しぶりに自分にとって分からない「外国語」にぶつかって、話すことも読むこともできないという不自由な状態を味わった。
この数年間翻訳や異文化の研究を行ってきたが、異国、異文化、異言語を頭で論じるだけではなく、肌で感じることは、新たなそして貴重な体験になった。改めて強く感じたことは、大会では、講演や研究発表を聞いて討論することは勿論、色々な人達との出会いが味わい深いということである。これはインターネットなどでは代置できない。これらの経験を教室でも生かせることができたらと思っている。

備考 ワルシャワもソウルも今年の夏は記録的に暑かったが、一番役に立った物は日本から持っていた山大の団扇であった。感謝を申し上げたい。