宗教学研究室による「ペット供養研究取材」に同行

春休み中、私は、ふれ愛どうぶつ村(周防大島)と酉谷寺(下関市)のペット霊園取材に同行させていただきました。前者はペットショップ・ふれあい牧場に付属するペット霊園、後者はお寺に付属するペット霊園ですが、これら二つに共通して感じたのは、飼い主の要望を最も尊重しているという点です。

前者はペットショップ・ふれあい牧場に付属するペット霊園、後者はお寺に付属するペット霊園ですが、これら二つに共通して感じたのは、飼い主の要望を最も尊重しているという点です。

例えば、ふれ愛どうぶつ村では、火葬炉のとなりの部屋に祭壇と納骨堂が設けられています。家族の方が自由に出入りでき、お供え物をしたり、メッセージを残したりします。お供え物は棚からあふれるほどで、ノートにはそれぞれのペットへの思いがたくさん綴られていました。

酉谷寺でも、納骨堂は自由に出入りができるようになっていました。お寺は、読経を行うなど、もっと格式ばった感じなのかと思っていましたが、全然そんなことはありませんでした。例えば、火葬前に住職さんが席をはずし、家族が「最後のお別れ」をする時間を設けるなど、飼い主の気持ちにできるだけそうように、細やかな配慮がなされていました。

さらに、どちらの霊園も、火葬後のお骨を共同墓地に入れるか、納骨堂に納めるか、それとも家に連れて帰るのか、飼い主の判断に任せていました。最初はしばらく納骨堂や家に置いて、気持ちの整理がついてから共同墓地に入れたり、お骨の一部をペンダントに入れて持ち歩いたりと、様々な供養の仕方があります。

ペット供養は、人間の供養と比べて義務的・形式的でなく、飼い主の意志によって行われている部分が多いです。そのため供養の仕方も飼い主の意向に沿った形になります。供養の目的も、ペット自身のためというより、「飼い主の気持ちの整理」という面が強いのではないかと思いました。<文:哲学・思想コース2年生・一ノ瀬千優>