宗教学実習:「鬼祭り」(防府市)と「むろづみエンヤ」(光市)

10月9日、防府市で行われた春日神社例大祭・神幸祭と光市で行われた早長八幡宮秋まつりを見物した。最初に訪れた春日神社例大祭・神幸祭は太鼓を少年たちが打ち鳴らし、鬼の姿をした若者が天下泰平・五穀豊穰を熱願してねり歩くというもので、「鬼まつり」と呼ばれている。

私達が訪れた時には折り悪く神輿や鬼太鼓などは見られなかったのだが、空手の奉納が行われていた。地元の方が大勢集まって見物しており、特に年配の方が多かったように思う。一方で祭りの奉納をする側は小学生ごろの子供が多く見られた。また、境内には鬼の扮装をした、おそらく町内会や消防団の方が数名おり、祭りに訪れた子どもたちが鬼を見て怖がったり楽しそうに話しかけたりと様々な反応を示していた。

早長八幡宮秋まつりは毎年10月、体育の日の前日に行われる山車巡幸行事で、今から350年前の江戸前期に始まったものである。「エンヤ!エンヤ!」の掛け声で若衆が山車と踊山を曳き廻すことに因んで、早長八幡宮秋まつりで行われる山車巡幸行事は「むろづみエンヤ」と呼ばれるようになった。

また、大幟を立て黒松を載せた山車を先頭に、鳥居、石灯ろうをかたどった山車、こま犬、随神、鏡を載せた山車、御供船の山車があり、行列全体が神社の形態を整えていることから、「まちを駆ける神社」などとも形容される。このような山車行列は全国的にも珍しく、山車行列の原型を留める貴重なものだと言われており、「むろづみエンヤ」に使われる山車10輌と踊山1輌は昭和56年光市有形民俗文化財に指定されている。

山車巡幸は早長八幡宮からスタートするので、早長八幡宮にて山車が1台ずつ出発する様子を見物した。縄を持ち、木遣り唄に合わせて前後に足踏みをしたり時にはぶつかりあったりする様は迫力があった。木遣り唄とは元々、重いものを引くときの掛け声が元になった仕事歌だそうで、これから重い山車を皆で引くのだという気概を感じた。

山車を引いていたのは男性が多かったが中には女性もおり、楽しそうに山車を引いていた。性別に関係なく楽しんで参加できる祭りは良いものだと思う。また、山車には小学生くらいの小さな子どもが何人も乗っており、地域の宝として子ども達を大切にしている様子が感じ取れた。

今回見学した祭りはどちらも、地域で協力して行う祭りといった様子だった。様々な年代の方が参加しており、このような行事を通して地域住民のふれあいが行われ、交流が深まるのだと感じた。<文:哲学・思想コース2年次・船倉榛名>

  • はじめに

2016年10月9日(日)、防府市春日神社「鬼祭り」と光市早長八幡宮「早長八幡宮秋まつり」を訪れた。以下にそれぞれの祭りの概要と、そこで人々が得る心の経験を述べる。

  • 防府市春日神社「鬼祭り」

【概要】

この祭りは、体育の日の前日日曜日に行われる例祭である。境内には出店がいくつか見られ、また、鬼に扮した人の姿も見られた。ただし、祭りの名前こそ「鬼祭り」であるものの、境内で見られた鬼には何か特別な役割がある様子ではなく、子どもらと一緒に写真に写ったりするくらいであった。その他には、「福くじ」というくじ引きや、地域の空手教室による空手のパフォーマンスが行われていた。

【人々の心の経験】

本殿に参拝する人々の行列ができていた。そして、彼らの多くは参拝を済ませた後、その傍で行われる「福くじ」をやっていた。ここでの人々の心の経験に注目したい。「福くじ」とは、一回につき百円でくじを引き、インスタント食品や飲み物など、等分けされた品物と引き換えるくじ引きだ。品物それ自体は決して特別なもの、珍しいものではなかった。参拝者たちも品物が欲しくて、品物目当てでくじを引いている様子ではなかった。

それは、彼らが「お金―品物」という結びつけをしていないからであろう。もちろん、日常の買い物などでは、「お金」を、その価値に釣り合う「品物」と交換する。しかし、ここでの価値というのは品物それ自体に見出しているのではなく、その背景にあるものに見出しているようだった。つまり、品物を、神社という特別な場所での祭りで、くじを引いて獲得するということだ。そこに価値、言い換えれば聖性を見出しているのである。

よって、彼らは品物それ自体の価値ではなくその背景にある聖性が目当てでくじを引いていたと言えよう。もちろん、彼らはより等の高い品物を欲しがるのだが、やはりそれも単純によりよい品物が欲しいというわけではなく、むしろ、そのような聖性を持った品物のうち、より高い等のものを、自分の「運」を使って獲得するというところに価値を見出しているようだった。境内にいる「鬼」に関しては、後述の「早長八幡宮秋まつり」における恵比寿と異なり、聖なる存在としての度合は低く、俗っぽい存在であった。

  • 光市早長八幡宮「早長八幡宮秋まつり」

【概要】

この祭りのメインと言うべき行事は、山車巡幸行事である。これは、江戸時代の前期に始まった伝統のある行事だ。今回の祭りでこれは14時40分頃から行われたのだが、その30分ほど前には別のイベントが行われていた。それは、面を被って恵比寿に扮した者が、踊ったり、子どもら(小学生低学年くらいまでか)にお菓子を投げたり(ときに手渡し)しながら、最終的には釣り竿で模型の鯛を釣り上げるという見世物だった。ただし、これは山車巡幸のように伝統あるものではないようである。

 

そしてその後に、山車巡幸行事が行われた。大幟の山車に始まり、鳥居、灯籠、狛犬、随神、鏡、御供船の山車の順に、若衆(わかいし)の「エンヤ、エンヤ」という掛け声とともに山車巡幸が行われた。若衆は男性がメインで構成され、年齢は中高生くらいから70歳代と思われる人の姿まで見られ、その幅は広かった。彼らは、東、西、南、北などのいくつかの組に分けられ、組ごとに山車を曳く。山車には「地域の宝」とされる子どもが乗せられる。爆竹を使うなどして盛り上げられ、山車が動き出す瞬間には拍手が起こった。

【人々の心の経験】
最初の恵比寿のイベントは、型とアドリブをうまく織り交ぜた「生の」パフォーマンスだったと感じた。それはつまり、パフォーマンスとして形骸化していないということである。恵比寿役の者が子どもらにはたらきかけると、それに対して子どもらは自由に反応し恵比寿にはたらきかける、それに恵比寿がまた応え、さらに子どもがそれに応えるといった具合に、自由度の高いやり取りをしながら展開されるものだった。

ただし、恵比寿が俗なものとして扱われるということはなく、あくまで特別な存在として扱われていた。恵比寿から投げられるお菓子を拾う光景は、「餅なげ」の光景と似たもので、また恵比寿と触れ合う様子は獅子舞に嚙まれる様子と似ているようだった。つまり、恵比寿を、自分たちのいる次元とは異なる次元にいる聖なる存在として認め、彼から投げられるお菓子もただのお菓子ではなく特別な意味を見出しているようだった。

次の山車巡幸行事では、山車が動き出す瞬間の人々の盛り上がりに注目したい。山車が動くとき、若衆と観衆の間に一体感のようなものが生まれていたように感じられた。その一体感は、山車を曳き始めるまでのパフォーマンスが手伝って生まれたのではないかと分析する。若衆が山車を曳き始めるまでには少し時間があり、綱を持った若衆が波のように動き、掛け声を発する。そののちに山車が動き出す。山車とそれを曳く若衆が次々に入れ替わる中にあって、それぞれの山車が動き出す瞬間に一体感が生まれるのは、事前のパフォーマンス(すなわち、動きと掛け声)を踏むことで若衆と観衆の間に一体感が醸成されていたためではないか。

一方で、その一体感は少なからず排他的であるようにも感じられた。掛け声や巡幸の仕方、その流れを知らない者からすれば、目の前で行われるパフォーマンスは「我々」の側で行われるものではなく、「舞台上」で行われる向こう側のものとして受け止められるのではないか。そのため、この地域に暮らす人々と、観光でこの祭りを訪れたと思われる外国人らの祭りの楽しみ方には、差があるように思われた。このような点で、得られる心の経験にも差が出てくるものだと分析した。<文:宗教学研究室4年次・岡﨑健斗>