宗教学実習「田川市:川渡り神幸祭」

私は5月20日に宗教学実習で福岡県田川市の川渡り神幸祭を見学してきた。この祭は疫病が流行した際、風治八幡宮にその終息を祈願し、成就のお礼として幟山笠を奉納されたことが起源とされ、毎年5月に二日間開催されている。

 

午前11時ごろ、シャトルバスを降りて狭い住宅街の路地に並ぶ屋台や浴衣姿の人を見て、祭の会場の雰囲気を感じた。メインの川渡りの行われる彦山川沿いの道にも屋台がたくさんあり、思っていたよりこの祭の規模の大きいことに驚いた。祭の会場のごみ箱は小学生の名前が書かれていて手作りのものがいたるところに用意されていた。12時前に例大祭祭典を見学しに風治八幡宮へ行った。神輿は外に用意されていて、神輿の担ぎ手が衣装を着て神社に入っていった。肩には水色の三角のクッションのようなものがかかっていた。神輿を担ぐときに長時間担げるように神輿と肩の間に挟むのに必要なのだと思った。

例大祭祭典のあと、風治八幡宮をいったん離れると、駅前で黄色い魚町と書かれた法被を着た人たちが山鉾を動かしていた。山鉾は神輿と違い車輪がついてそのうえに人が登っていた。道の端に山鉾をもってくるとそれを止め、前方にいる男たちがのしかかって傾かせ揺らし始めた。それにより、山鉾は前後に揺れてガタンガタンと大きな音を立てた。これは、祭られているスサノオをもてなすためとのことだった。山鉾のような大きくて重そうなものでしかも人が乗っているものを動かすことはとても危険に思える。

 

しかし、山鉾を動かしている人たちはより大きく揺らし、音を立てたがっているように見えた。私はそれがスサノオを喜ばせたいというよりも、祭という興奮した状態でどれだけできるかという状態を楽しんでいるように感じた。山鉾の近くには同じ法被を着た子供たちが賽銭箱を持って一緒に行動していた。昼食をとったあと、風治八幡宮へ行くと、獅子楽奉納を見学できた。二頭の獅子の周りを子供たちが踊るのを、神輿の担ぎ手たちも見学していた。

神輿の担ぎ手の中には子供に手を振ったり、踊りの振りをまねたりしている様子は、子供の成長を喜んでいるように見えた。神輿が出発をすると、風治八幡宮の外にはたくさんの神輿とその見物人が集まっていて活気があふれていた。この祭の特徴である川渡りの場面では、先頭の神輿が一基で川渡りがある程度済むと、山鉾の川渡りでは続けて山鉾が川の中に入った。思っていたより、川の水が少なかったので間近で見たときは迫力があまり感じられなかったが、橋の上から複数の山鉾が川渡りをしている様子はカラフルできれいに思った。

田川市の川渡り神幸祭では子供から高齢者までの幅広い世代が担い手になっていることや、祭の写真コンテストがあることで担い手にはなれない人も参加者になれる環境ができていることから、コミュニティの人間同士の交流の場になっていると思った。<文:大石圭那>

今回は、福岡県田川市風治八幡宮の川渡り神幸祭を見学した。この祭りは、福岡県の五大祭りのひとつで、福岡県の筑豊地域では、最大規模の祭りである。祭りは2日間にわたり開催され、1日目はお下り(彦山川を渡り、対岸の御旅所で1泊する。)し、2日目はお上り(1日目とは逆のコースで川を渡り、神輿と山笠が風治八幡宮に戻る。)するという流れで行われる。山笠には、稲穂をイメージした五色の馬簾がつけられており、五穀豊穣と無病息災が願われている。また、この祭りは、約450年続く祭礼であるということも驚きである。

実際に見学して、境内から祭りの主役である神輿を囲み、踊りや祈願の儀式を行い町を練り歩くという形式からこれまで見学した祭り(防府市の裸坊祭りなど)と同じ流れであることがまず分かった。全体的にみると、地域の方やお祭りに来る客は皆賑わう屋台やステージを楽しんでいる印象を受け、祭り自体のコンセプトとして、お化け屋敷や人気の曲のBGM、ステージの内容から祭りのつくりもどんどん現代化し、集客や街の復興にも力を入れているのではないのかという推測も立てることができた。

実際、歴史ある祭りを体感するとともに、私たちも楽しむことができ、良い体験をすることができた。また、機会があれば足を運びたい。<文:中野遥>