光市の普賢(ふげん)祭りとバラ祭り(宗教学実習、2016年5月14日)~その1

今回の実習では、光市の普賢(ふげん)祭りとバラ祭りを見学した。当日は良い天気で、少し暑いくらいだった。まず普賢祭りについて地元の人たちは「お普賢さん」と呼んでいたそうだ。

行ってみると大勢の人たちでにぎわっていた。私はてっきり地元の小さなお祭りだと思っていたので、人の多さと規模に驚いた。土曜日で天気に恵まれたということもあるだろう。お年寄りや家族連れだけでなく、地元の小学生らしい子どもたちのグループも見える。

なにやらモクモクと煙が立っていると思ったら、線香の煙だった。お腹がすいていたが、まずはお参りをする。仏壇に置いてある香炉を大きくしたような入れ物に、線香を買って入れることができる。いい香りがするが、煙たかった。賽銭箱があり、ひもで鈴を鳴らすのは神社と同じだった。みんなしてガラガラするので、一個鈴が落ちてしまったようだった。後で調べたところ、お寺のお参りでは柏手は打たないそうだ。お線香の香りは神仏の食べ物らしい。咳き込んで申し訳なかった。食べ物の露店がたくさん立ち並んでいた。おそらく大概の人はこちらが楽しみだろう。大道芸人まで来ていた。錦帯橋祭で見た親子が楽しそうだったので、雑貨の露店で竹とんぼを買ってしまった。

車で移動し、バラ祭りの会場である冠山総合公園へとやってきた。今回で9回目を迎える。公園は緩やかな山の斜面にあり、広い敷地を持つ。こちらも大勢の人たちで賑わっていた。道に沿ってバラの鉢がたくさん並べてあり、芳香を放っていた。バラのトンネルを抜けると、庭のようになっていた。バラにもたくさんの種類がある。ある一画には、お姫様の名前がつけられたバラが植えてあった。坂を上ると日本庭園になっていて、鯉の池があった。鯉に餌をあげるとばちゃばちゃと寄ってくる。

もっと上の方にも日本庭園があったらしいが、新しい靴で足が痛くなってしまったので休憩して待つことにした。そこで小さな男の子を連れた家族連れに会った。別れ際に「ばいばい」と手を振ってくれた。現代にとってのお祭りは、何を祭っているのかはもはやどうでもよく(失礼)、葬式などと同じくより形式的になっている。神仏や祖先を祭る儀式のことではなく、とにかく人が集まってわいわいすることを「祭り」と呼んでいるような節もある。しかし、いつもとは違う空間を作り出し、一緒に騒ぐことで人々のつながりを保ち再確認するという役目は、昔から変わっていないのではないか。<文:宗教学研究室3年次・一ノ瀬千優>