名前の文化史

  中国旅行の思い出話をしていると、中国語学習の経験が無い人によく驚かれるのは、名前のことです。
  例えば田中さんなら、英語圏に行っても「Tanaka」さんで変わりないですが、中国では「田中」という漢字表記が変わらないかわりに、この漢字を中国語の発音で読むことになり、「TianZhong(ティェンジョン)」さん、と呼ばれます。逆に、中国人の王さんは「Wang(ワン)」さんなのですが、日本に来ると「オウ」さんになりますね。野球の元日本代表監督である王貞治さんは、中華民国(台湾)の国籍なんだそうですが、ユニフォームにはWANGではなくOHと書かれていますね。漢字という表記を共有しているための、不思議な現象です。
  ちなみにお隣の韓国もかつては漢字を多用していた国で、今でも一部で使われています。漢字の中国読み、日本読みがあるように、韓国読みも存在します。例えば、「漢字」は中国語では「ハンズー」、日本語では「カンジ」と発音しますが、韓国語では「ハンジャ」と読みます。個人の名前も(今は普段あまり使いませんが)漢字で書くことができます。そのため中国で韓国人の名前を呼ぶときには、例えば「文在寅(ムンジェイン)」前大統領は、「ウェンザイイン」と、やはり中国語の漢字の読み方に変わります。ところが中国人が韓国でどのように呼ばれているか見てみると、どうやら(韓国の漢字音ではなく)中国語の漢字音をハングルで表記しているようです。
  もっともこれは恐らく最近の現象でしょう。ソウル出身の友人は、学校で、日本の明治時代の人物(例えば大久保利通など)を韓国の漢字音で習ったので、日本語で日本史を勉強し直す際に難儀した、と話していました。韓国で、まだ漢字を使うことが一般的だった時代には、やはり漢字の表記を変えないかわりに、自国の発音で読むルールだったのでしょう。

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  みなさんはスターバックスコーヒーに行ったことがありますか?私は大のコーヒー好きなのですが、中国に行くと、ついついスタバ=星巴克咖啡に立ち寄ってしまいます。というのも、一昔前の中国では、市中でなかなかおいしいコーヒーにありつけず、メニューに「美式」(アメリカン)とあるにもかかわらず、出されたのはミルクたっぷりの甘ーい「何か」だった、ということもありました。でもスタバなら「間違い」はありません。
  さて、日本のスタバでは、注文が済むと「黄色いランプのところでお待ちください」と言われ、しばらく待っていると「トールサイズのスターバックスラテでお待ちのお客さまー」と呼び出されますね。ところが中国大陸や台湾のスタバでは、注文の際に名前を尋ねられます。はじめてのときは思わず「名前?」って聞き返してしまったのですが、じつはこれ、出来上がったときに注文者を呼び出すために必要なのです。「王先生的拿铁(王さん(男性)のスターバックスラテ)」「李女士的星冰乐(李さん(女性)のフラペチーノ)」という具合です。
  私の場合はというと、「黑?羽?先生?美式咖啡中杯!中杯的!」どうやら、店員さんを混乱させてしまったようです。中国人の多くは姓が漢字一文字。もっとも現代中国ではモンゴルやチベットやウイグル出身の人々も、自分の名前を漢字で表記することがありますから、そんな場合はもとの発音に近い漢字をたくさん並べて表記します。また中国史を学んだ経験のある人ならば、「諸葛」「欧陽」「司馬」といった名前の歴史上の人物を知っているでしょう。しかし、やっぱり二文字姓は、店員さんには意外だったのでしょうね。そんなわけで、最近は「姓黑」(「姓は「黒」です」)と自称するようにしています(ちょっと前は「姓羽」を試していました)。

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  かつて中国大陸へ渡った日本人たちは、滞在中「中国名」を持ったようです。例えば阿倍仲麻呂は「朝衡」とのこと(『旧唐書』)。何年か前に中国で「井真成」という日本人の墓誌が発見され話題になりました。彼の本名は「葛井」ではないかとされ、「地元」の大阪府藤井寺市は大いに盛り上がりました。もっとも個人的には「井○」さん(例えば井上さんなど)の可能性もあるようにも思います。
  やがて中国大陸との正式な交流が途絶しても、日本の貴族たち、とくに学者たちは「中国名」を持ったようです。平安後期の学者として著名な大江匡房(おおえのまさふさ)のおしゃべりを記録した『江談抄』(ごうだんしょう)という史料では、何人かの人物の「唐名」について言及しています。例えば紀長谷雄(きのはせお、この人も平安時代の漢学者)は「発超」、「はせお」と「発超(はっちょう?)」は音が似ています。匡房自身は「満昌」。なんだか赤提灯をぶら下げた居酒屋さんのようですが、大江匡房は中国名「江満昌(ごうまんしょう)」なのです。
  本来の漢字二文字の姓から一字を省略し、漢字一文字の姓(しかも音読み)を使うことならば、学者に限らず、平安貴族社会では広く行われていました。例えば、『枕草子』の清少納言の「清」は彼女が清原氏であったから、学問の神様としておなじみの菅原道真は菅公(かんこー、「学生服のカンコー」はこれが由来です)、先ほどの大江匡房による儀式書は『江家次第』(ごうけしだい)という具合です。「藤大納言」(とうだいなごん)は「とう」氏(=藤原氏)の大納言、「源中納言」は(「みなもと」ではなく)「げんちゅうなごん」と読んであげるのが彼らのためでしょう。ちなみに室町幕府三代将軍の足利義満が遣明使を派遣したときには日本国王「源道義」を名乗りますが、これも「げんどうぎ」と読むべきで、実際、高校の教科書にもそのようにルビがふってあります。
  古代日本人の中国名についてお話ししてきましたが、かく言う私も、中国のスタバでは、はるか古代の日本人たちと同じように振舞っています。なんだか不思議な気分です。