平安貴族の生活科学

  すでにご存じの方、ご覧になっておられる方も多いかと思いますが、今年(2024年)のNHKの大河ドラマは、「光る君へ」という平安中期を舞台にした物語です。私自身はあまりテレビを見ないのですが、平安時代を研究している私のところにも、様々なお話が舞い込んでくるようになり、反響の大きさに大変驚いています。これをきっかけに平安時代への関心が高まってくれたらと期待しています。
  私がこの人文散歩に寄せている文章は、専門分野決定前の人文学部1・2年生、人文学部の受験を考えている高校生を主な読者と想定して、研究に関わるあれこれを書いてきましたが、今年は主に平安貴族をテーマに据えて、通常よりも高い頻度で(できれば・・・)、書いてみたいと思っています。

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  私は近年、平安時代の「政務」の研究をしています。平安時代の朝廷においても様々な事柄が議論され、決定されたわけですが、その手続きはどのようになっていたのか(決定権はどこにあったのか)、決定の過程でどんなことが議論され、考慮されたのか、その際にはどういうことを参考としたのか、といったことなどを調べる研究です。こう書くと、やや難しく見えるでしょうか?
  一見難しそうに見える「政務」の研究ですが、しかし、私たちに身近なものに注目することでも、当時の「政務」に接近することは可能です。例えば、私がいつも気になるのは貴族たちの「筆記用具」。貴族たちは議論した内容や決定事項を文書にして残したのですが、その時、当時の貴族たちはどのような道具を用いたでしょうか。
  言うまでもないことですが、文書を作成するためには、「紙」と「筆」と「墨」(インク)が必要です。「なんだ、そんなことか」とお思いになった方も多いでしょう。しかしこれは、意外にも重要な問題なのです。例えば、あなたが課外活動に関わる書類にサインをするとします。その際、「体育会」が用意したペンを使うのか、「文化会」が持ってきたペンを使うのか。現代を生きる私たちは「書けたらどっちだっていいじゃないか」と思ってしまいますが、平安時代の貴族や官人たちには重要な問題でした。
  平安時代において朝廷の文書作成に携わった部局には、「外記局」と「弁官局」というものがありましたが、そのどちらの筆と墨を使うかということは、その政務の内容に関わって、とても重要な問題なのです。紙も同様で、どのような紙か(リサイクル紙を使うかどうか、何色の紙にするかなど)ということも、やはり政務の内容や性格を考えるときに、見逃せないポイントになります。

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  筆記用具の筥の中には、「紙」と「筆」と「墨」という基本的な用具の他にも、おもしろい物が入っています。例えば、「小刀」。文書を束ねる紐を解いたり、封を切ったり、紙を裁断したりと、ペーパーナイフの役割を果たすのは勿論ですが、小刀には意外な使い方もあります。それは消しゴムとしての役割。墨で書いた文字は、基本的には書き直すことはできないのですが、場合によっては、刀で紙の表面をカリカリっとこそいで、字を修正することも可能です(ちょっと汚くなりますが)。
  さらには「続飯」というものも見られます。漢字を見て「ペンケースにご飯?」と驚いたかもしれませんが、これは「そくい」と言って、デンプンのりのこと。紙を貼り継ぐときなどに使います。私が子どもの頃のこと、お正月に急な来客があり、私の祖母は慌ててお年玉を用意したのですが、ポチ袋をとじる際に、ごはん粒をひとつまみ、少し水を含ませて、のり代わりに使っていました。お米などに含まれるデンプンは、水とともに加熱するとのり状になり、それを冷却するゲル状になるそうです。平安貴族たちは、これを「搔板」*もしくは「続飯板」という板(大きさ約6cm×24cmほどの細長い板だとする史料があります)ですくって使いました。
  書いたり消したり、切ったり貼ったり。今から1000年も前のことですが、筆記用具に注目するだけでも、平安時代の政務の様子がかなりリアルに感じられるのではないでしょうか。

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  以上の筆記用具が揃えば、貴族たちは文書を作成することができるのですが、これ以外にも季節限定で登場する、驚きの「筆記用具」もあります。それは何かと言えば、冬季限定の「お酒」です。寒い冬には熱燗で身体を温めながら仕事を・・・と言いたいところですが、もちろん、そういう使い方をするのではありません。
  筆で字を書くときには墨が必要ですが、墨は今のように墨汁が売られているわけではありませんので、墨のかたまりを、水で溶いて使っていました。ところが寒い冬の日の政務では、その水が硯の中で凍ってしまうのです!
  理科の授業で習ったように、物質には固体・液体・気体の三つの状態が存在します。水の場合には、ふつう0℃以下では固体、すなわち氷の状態になってしまいます(この温度を凝固点と言います)。ところが、アルコール(の成分であるエタノール)は水よりも凝固点が低いため、-100℃でもまだ液体の状態を保つことが可能なのです。こうした物質の特性を、平安貴族たちは生活の中から知り得ていたのでしょうね。お酒を水に混ぜる(水割り!)ことで、水が凍結するのを防ぐひと工夫だったわけです。優雅な暮らしぶりをイメージしがちな平安時代ですが、貴族たちは生活の知恵も活かしながら、寒い冬でも政務に励んでいたのでした。

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  もっとも、お酒を混ぜても水が凍ってしまうことはあったようで、その場合には、火鉢(ストーブ)の炭を硯の上に置いて解凍するのだとか。このことからは、次の二つのことが想起されます。
  一つには、当時のお酒はアルコール度数がさほど高くなかっただろうということ。今ならば、例えばビールは5%程度、日本酒やワインは10~15度、焼酎やウイスキーは20~30度くらいでしょうか。私が好きな中国のお酒、白酒(バイジウ)は50~60度ほどです。これらの中でもっとも度数の低いビールの缶を冷凍庫に放り込んでも、そうそうすぐに固まることはありません。もちろん水と混ぜていることも考慮しなければなりませんが、部屋の寒さで凍ってしまうのだとしたら、それはアルコール度数が低かった可能性が考えられます。それにも関わらず、平安時代の史料には貴族や官人たちが泥酔して起こした「失敗談」が登場します。彼らは一体、どれほどのお酒を飲んだのでしょうか。
  もう一つは厳しい寒さのことです。0℃で凍るというのは、あくまで物質の温度のことで、気温が0℃以下であったとは限らないのですが、それでも手が震えるような寒い場所であったことは間違いありません(気温・湿度と、硯の中の液体のアルコール度数、凍結にかかる時間の関係を調べる実験を、いつかやってみたいと密かに考えています)。今のように閉めきった部屋ではありませんから、風が吹き込むこともあったでしょう。それに平安貴族には「夜型人間」が多く、仕事は夜に行われることも少なくありませんでした。冬のシーンに登場する貴族たちの吐く息はちゃんと白くなっているかな、という視点で、大河ドラマを見てみるのもおもしろいかもしれませんね。

*「搔板」にはいくつかの意味があるようですが、『日本国語大辞典』という権威的な辞書では、カッターを使うときの下敷きの用例(元服の際に髪をそぐ板もこの応用)として、『江家次第』直物を挙げています。しかし、少なくとも『江家次第』直物に見える「搔板」は、私がここで述べたような、デンプンのりをこねたり、すくったりする板と見なければなりません(辞書は誤り)。学生のみなさんは、辞書の記述をすぐに信じてしまうクセがあるようですが、たとえ辞書であっても、まずは疑ってみることは大切です。