3年目の春に

2020年の4月に、「はじめてのコロナ禍」の中で入学してきた学生たちが、2022年のこの春に、いよいよ3年生となり、正式に私たち山大人文学部の日本史研究室の仲間になりました。新3年生のみなさん、ご進級おめでとうございます。同じタイミングで山大にやって来た私は、あの時の「苦い思い出」を共有した者として、大変感慨深いです。

この2年間、私たちはあらゆる「はじめて」を経験しましたが、いまふと振り返ると、これほど「年代」「世代」を意識することは、これまで無かったなと思います。テレビの報道などで「30代以下の若い世代が多い」「70代以上の高齢者が少ない」などと、毎日毎日聞かされていたので、否が応でもそういう見方を身につけてしまったように感じています。

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少し話が変わりますが、一口に「戦争経験」と言っても、その経験の仕方は世代によって違うものだったようです。最前線で戦闘を経験した大正生まれの人と、銃後で厳しい生活を強いられた昭和生まれの人、そして戦後の混乱を経験した人。そうした経験の違いが、戦後日本の進路にも少なからぬ影響を与えているそうです(吉田裕『兵士たちの戦後史』岩波書店、2011年)。

考えてみれば、こうしたことは現在の私たちや、近代史に限ったことではないのかもしれません。例えば、江戸時代が真の意味で「天下泰平」の世の中になるためには、戦国時代を経験した歴戦の武将達からの世代交代が必要でした。北条泰時が御成敗式目を用意する背景には、源頼朝の後家で、そのカリスマ性を継承して「尼将軍」とも呼ばれた政子の死がありました。すなわち鎌倉幕府第1世代からの交代です。これらと同じ現象が古代にもあるのではないか。そんなことが、ここ数ヶ月、私の頭の中をグルグルグルグルしています。

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橋本義彦さん(私の前任の橋本義則先生ではありません)の名著『平安貴族社会の研究』(吉川弘文館、1976年)には、「中右記と台記」という論文が収められています。宮内庁にお勤めだった橋本さんは、古記録の改題を多くものされていますが、この論文では院政前期と後期の2つの重要史料の解題を、その記主、藤原宗忠と頼長の世代交代からドラマチックに書き起こします。日記の解題という性質ゆえ、橋本さんは、両者の記述の違いを2人の記主の個性に着目しつつ説明します。しかし私は最近、これを「個性」の問題ですべて片付けてしまって良いのだろうか、と考えるようになりました。彼らが生きたそれぞれの世代の違い、「個性」だけに還元せず、「社会」の問題として把握すべきなのではないか(もちろん個性は無視できないけれど)。

摂関・院政期は、列島が古代から中世へと大きく姿を変える時代でした。この時代を考えるとき、「律令期」を経験した摂関期貴族、摂関期を経験した院政期貴族、そして彼らからの世代交代が、列島の古代・中世史にどのような影響を与え、あるいは与えなかったのか――。そういう視角で研究が出来ないだろうかと、ひそかに考えています。