シェークスピアの英語の発音

5月14日に山口県旧県会議事堂で、山口日英協会創立20周年のイベントがありました。メインは山口大学の前学長の岡先生の講演でしたが、その後で(つなぎの余興として?)なぜか私に音楽での出演依頼があり、結局「楽器演奏とお話」という形で1600年ごろのイギリスの歌二曲について少しお話をし、歌も実際に歌って来ました。

音楽に関しては私はまったくの素人なのですが、昔からヨーロッパの中世、ルネサンスの音楽が好きで、大学院の時にはリュートという楽器を習っていたことがあります。リュートは歌の伴奏に大変適した楽器で、特にルネサンスからバロック時代にかけてヨーロッパ全体でもてはやされました。有名な絵にもよく出てきます。たとえばカラヴァッジョの「リュート奏者」などです。

カラヴァッジョ「リュート奏者」

https://en.wikipedia.org/wiki/The_Lute_Player_(Caravaggio)より

とりあげた二曲はちょうどシェークスピアの時代の歌で、作者不詳の「柳の歌(The Willow Song)」とジョン・ダウランドの「御婦人向きのすてきな小物(Fine Knacks for Ladies」です。「柳の歌」の変形版はシェークスピアの『オセロ』でデズデモナが歌っています。

せっかくの機会なので、今回は当時の英語の発音で歌ってみることにしました。(リュートの弾き語りです。)

ダウランドなどを当時の発音で歌うのはこれまで何回か試みたことがあるのですが、これに関しても私は素人で、適当にごまかしてやっていました。今回も当時の歌の発音の解説書とシェークスピアの発音を載せた辞書を頼りにやろうとしたのですが、なかなか判断がつかないところがありました。ですが、よく考えてみると山口大学人文学部には英語学、英文学の先生方がいらっしゃいます。それで、何かアドバイスがもらえるのではないかと思って何人かの先生に(かなり軽い気持ちで)質問してみました。結果は大当たりで、得られた情報は私の予想をはるかに超えるものでした。すぐ隣に知恵の宝を持つ方がいるのに、これまで私は扉をノックすることを思いつかなかったのです。今回は特に英語学の太田聡先生にお世話になりました。

太田先生はさすがに音韻論の専門家で、私の質問に対してなんと30ページ近くある「回答」を作って下さいました。私はそのすべてを理解したとは言い難いのですが、今回の試みには大きな助けとなりましたし、「音韻論」という言語学の学問分野の興味深さ、奥深さの一端を知ることができました。

当時と今の発音の違いについてはいろいろあるのですが、三つだけあげます。(カタカナ中心ですみません。)

・love などの短母音 o は現在は「ア」ですが当時は「ウ」だった。なので「ラブ」ではなく「ル ヴ」。同じように、come は「クム」だった。

・語末の y は「ァイ/əɪ/」だったので、duty は「デューティー」ではなく「デュータイ(/təɪ/)」。(「ァ」は曖昧母音)

・take などの長母音 a の現代の発音は「エィ」ですが、これは大変新しい発音で、シェークスピアの時代は「エー」だった。なので、take は「テーク」、name は「ネーム」。(中学校で初めて英語を習った時に、ABCを「エービーシー」と発音して先生に「違う、エィビースィーだ」と怒られてましたが、「エー」はシェークスピアの発音だったんですね。)

これでいくと、Ladies は「レーダイズ」、money は「ムナイ」に近いということになりますので、かなり衝撃的です。

発音の違いなんて気にしなくてもいいのでは、と思うかも知れませんが、これを知らないと当時の詩や歌の妙味が伝わらないことがあります。たとえば、詩には押韻(rhyme)があります。「柳の歌」にはapprove/love の、「ご婦人」の方にはmove/love の押韻があります。どちらも現代の発音では押韻になりませんが、当時の love の発音ならばきちんと押韻します。シェークスピアの劇も詩なので、現代の発音ではわからない押韻が当時の発音ではじめて理解できる箇所がいくつもあるのです。これは人文学による学問的理解が、音楽や文芸にふれる私たちの経験をより豊かにしてくれる良い例だと思います。

歌の出来栄えについては素人の域を出ないのですが、動画がありますのでリンクを貼っておきます。(ある先生からは「今度はぜひコスプレでやって下さい」と言われました。)

https://photos.app.goo.gl/JpV4qPf1AXToCuNb9

人文学部長 脇條靖弘