2019年、夏期海外研修の報告 マカオ、ベルリン、ローレンでの研究活動を終えて

2019年7月末から9月にかけて、中国特別行政区マカオでの国際比較文学大会(ICLA)、ドイツ、ベルリン自由大学での研究打ち合わせ、スイス、ローレン翻訳センターでの科研プロジェクト研究会に参加してきました。研究成果を発表するとともに、来年度、再来年度の共同研究の計画についても、細部を詰めてくることができました。以下では、その詳細について、ご報告したいと思います。

ICLA大会は3年ごとに行われ、世界中から比較文学研究者が集まります。私は過去、2010年のソウル大会、2013年のパリ大会と参加し、そして2016年のウィーン大会では科研プロジェクトの一環として初めて自らワークショップを実施する経験もしました。そして今年、2019年の大会は、当初は中国の深圳市で行われる予定でしたが、開催まで一年半という頃になって、急遽、会場が中国本土からマカオに変更されました。私は2つのセクションで、計2本の研究発表を行いました。大会の規模は大きく、参加者は2千人超、発表者だけでも千人を超えます。世界から集まる優れた研究者と出会うことによって、視野や人脈を広げる可能性に満ちた学会です。

マカオのスカイ・ライン

一つの発表は「文学における夢」に関わる研究プロジェクトです。心理学的なアプローチではなく、文学独自の夢描写、表現、または語りからアプローチする研究を行っています。欧米文学が中心ですが、中国や日本などのアジア文学も紹介してほしいということでパリ大会では夏目漱石の「夢」について話し、昨年ドイツで行われたシンポジウムでは、先生からの依頼で夢幻能における「夢」の演出を紹介しました。今回も再び夢幻能の研究をしたいと伝えたのですが、違うテーマがいいと先生に助言されました。研究仲間のアドバイスもあり、上田秋成の『雨月物語』に取り組んでみようと考えました。この作品は溝口健二監督によって映画化もされており、文学と映画という異なるジャンルにおいても論じることが可能です。そこで発表は「Ghost Dreams: “Tales of Moonlight and Rain” by Ueda Akinari (1776) and Kenji Mizoguchi (1953)」と題して『雨月物語』を一種の夢物語として読んでみました。

二本目の発表は、現在取り組んでいる研究プロジェクト「ジャンルの混交と共感覚 — 20世紀モデルネの文学、絵画の新たな受容」に関連して「共感覚的なナレーション。ローベルト・ヴァルザーの言語をめぐる実験」と題しました。学会後、マカオからは香港経由でドイツに移動しました。香港空港は度々混乱が生じ、封鎖されることもありましたが、幸い、帰路も無事に乗り換えることができました。

ドイツではまず研究打合せの手目にベルリン向かった。その傍らで共感覚への理解を深めるために絵画も視野にいれ、ベルリンの美術館巡りを楽しみました。「現代美術館ハンブルク駅」に足を運んだのは初めてでした。展覧会「エミール・ノルデ、一つのドイツの伝説。国粋社会主義における芸術家」が開催されており、退廃芸術家とされながら、反ユダヤ主義信奉者でナチス支持者であったエミール・ノルデの作品を見ることができました。戦後には彼のナチ崇拝の側面は忘れ去られ、ドイツ戦後文学の名作、『国語の時間』のモデルにもなった多様な顔を持つ画家です。来観者は、鮮やかな色彩や鬼気に溢れる自然界の絵に思わず圧倒されます。しかし、ノルデの手紙などを目にすると、誰もがその陶酔から醒めてしまいます。そしてマルティン グロピウスバウ美術館では現代アーティスト達が作っている「現世快楽の園」の展覧会を訪れました。ヒエロニムス・ボスの有名な『快楽の園』という超現実かつ幻想的なヴィジョンを題材にした、興味深い「共感覚」そのものの展覧会でありました。

草間彌生も含めて、さまざまなメディアや表現方法を使うアーティストが、「ガーデニング」というテーマでそれぞれ一つの部屋をまるごと造形しました。特に印象に残ったのは、割れた緑色のガラス瓶からなる「芝生」でした。この作品を見る瞬間に思わず「痛み」、「血」、「赤」、「ケガ」、「危ない」、「叫び」の様な連想が起こり、まさに共感的な体験を引き起こす作品です。南アフリカの若い芸術家Lungiswa Gqunntaは、私たちがイメージする癒やしの庭が、植民地を背景にその庭を世話をする人たちにとって暴力、負傷や搾取の空間にもなり得るというメッセージの作品を作りました。

覧会「浮き世の快楽園」からLungiswa Gqunnta作『芝生』

『芝生』

世界遺産のムゼウムズインゼル(博物館島)にある旧国立美術館を再度訪問し、ロマン派のC.D.フリードリヒなどの作品を久々に鑑賞しました。マカオでの発表に向けて、セザンヌに言及したヴァルザーの作品やメルロ・ポンティの論文を読んでいたので、ベルリンでセザンヌの絵画を目にしたときは特に感銘を受けました。共感覚の視点から一層、絵画と文学の関連について考えさせられました。

最後にスイスのチューリヒ郊外にある「ローレン翻訳センター」において、研究プロジェクトメンバー6人による研究会を開き、現在取り組んでいるテーマの中間報告を行い、今後のプロジェクトの進め方について議論しました。「ローレン翻訳センター」というのは、翻訳者が中・短期滞在して文学作品の翻訳作業を集中して進めていくことができる場所で、いくつかの個室に加え、図書館や催し物のためのホールなども付いている文化施設です。

また、スイス滞在中には、ヴァルザーの生地ビールの駅前広場で開催されていた、アーティスト、トーマス・ヒルシュホルンによるパブリック・アート「ローベルト・ヴァルザー・スカルプチャー」を訪れました。

ローベルと・ヴァルザー・スカルプチュア ビール市、スイス2019年、講演会のアリーナ

本来は生誕150周年を記念して昨年予定されていたものですが、予算折衝、タクシー業界との交渉などが難航し、今年に開催がずれ込んだ企画です。世界中から、数々の作家、研究者、アーティストなどが集まり、約3ヶ月間に渡ってヴァルザー作品の多言語による朗読、ヴァルザー文学との出会いをめぐる講演などが続けられた壮大なヴァルザー祭りです。このほかにもベルン市にあるローベルト・ヴァルザー・センターやパウル・クレー・センターも訪問しました。こうした機会に、研究グループでの議論、何人もの専門家との出会いから受けた数々の刺激を、これからの研究に生かしていきたいと思います。本当に刺激に富んだ、収穫の多い海外研修となりました。

研修準備に際してサポートしてくださった事務の方々、代理を務めて下さった同僚たち、また原稿のネイティブ・チェックしてくださった方々に、心より感謝の意を表したいと思います。どうもありがとうございました。

(『異文化研究 vol. 14』山口大学人文学部発行に載せてある報告の一部)