教員著書刊行情報

日本語学・日本文学コース担当 平野芳信教授が執筆にかかわった図書が刊行されました。

石原千秋 編
夏目漱石『こころ』をどう読むか 2014年5月

夏目漱石『こころ』をどう読むか

<書籍データ>
* 単行本(ソフトカバー): 228ページ
* 出版社: 河出書房新社(2014/5/30)
* 言語: 日本語
* ISBN: 9784309022895

<著者からひとこと>
 今年、2014年が夏目漱石の『こゝろ』が発表されてからちょうど100年目にあたり、現在、朝日新聞紙上に再連載されていることは、周知のことだと思います。
本書に収められた「最初の夫の死ぬ物語—『ノルウェイの森』から『こゝろ』に架ける橋—」は、1997年に「漱石研究」という雑誌に掲載された論文(エッセイ)です。それが、17年の時を経て、『こゝろ』のいわば誕生100周年目に、このような形で再録されたことを筆者としては素直に喜んでおります。
 実は、この論文(エッセイ)は自身の生涯の中で一期一会ともいうべき得難い経験をして書いたものなのです。最近、あるメーカーのTVCMで、「神が降りてきました。」というフレーズを聴いたことがありますが、まさに大天使聖ミカエル級の精霊のような存在に憑依されて執筆したと思わざるを得ないのです。
 それほど、この論文(エッセイ)は私にとっては手応えがあり、会心の出来映えであったと自負できるものです。
 たとえば、私(いや、降臨した精霊らしき存在)は最後をこう締めくくっています。

  「春樹」はいわば現代の「漱石」と化しつつあるのかもしれない。

 1997年段階での村上春樹といえば、前年に『ねじまき鳥クロニクル』によって第47回読売文学賞を受賞し、それまでの海外生活から本格的に日本へ拠点を戻そうとしていた時期にあたりますが、まだまだ現在の地位と名声からはかけ離れた位置にいたというべきでしょう。
 そんな時期の春樹を評して、精霊は私にとりついてよくもまあ「「漱石」と化しつつある」などと、いわしめたものです。これでは、まるで予言の書ではありませんか。

 思えば、この論文(エッセイ)を書いてから、久しく大天使級の精霊に憑かれての執筆は記憶にありません。
 願わくは、生涯にいま一度同じような体験を味わいたいものです。

<Amazonでの本書の紹介文>
 刊行100年。永遠の問題作は今いかに読まれうるのか。東浩紀、大澤真幸らのエッセイ、対談:奥泉光×いとうせいこうのほか、これまでの『こころ』論をベストセレクション。

【目次】
夏目漱石自筆広告文
『こころ』あらすじ

石原千秋「『こころ』はどう読まれてきたか」
対談 奥泉光/いとうせいこう「文芸漫談 夏目漱石『こころ』を読む」
東浩紀「少数派として生きること」
大澤真幸「喉に引っかかった魚の小骨のような疑問」
荻上チキ「見過ごされてきた門番」
高田里惠子「『こころ』の読者をどうつくりだすか」
文月悠光「『こころ』に眠るわたしたち」

対談 水村美苗/小森陽一「こころ 夏目漱石」
対談 丸谷才一/山崎正和「夏目漱石と明治の精神」

講演 柄谷行人「漱石の多様性:講演—-「こゝろ」をめぐって」
講演 吉本隆明「『こころ』」

北村薫「『こころ』を、読もうとしているあなたに」
夏目房之介「こころ」
荒川洋治「百年前の少年」

山崎正和「淋しい人間」
作田啓一「師弟のきずな—-夏目漱石『こゝろ』(1914年)」
石原千秋「眼差としての他者—-『こゝろ』」
小森陽一「『こころ』を生成する心臓[ハート]」
押野武志「静は果たして知っていたのか」
赤間亜生「〈未亡人〉という記号」
平野芳信「最初の夫の死ぬ物語—-『ノルウェイの森』から『心』に架ける橋」

石原千秋「『こころ』をこれからどう読むか」