「民主主義と独裁のあいだ」(2026年度異文化交流研究施設活動レポート②)

2026年度異文化交流研究施設活動レポート②

人文学部で出会う異文化:海外での研究現場から

「民主主義と独裁のあいだ」

2025年9月、私はソウル大学で行われた国際シンポジウム「東アジアから見たフランス革命」に参加した。6年前、東京で行われた前回よりも会場に熱気がみなぎっていたように思われたが、それは残暑のせいばかりではないだろう。

おそらく会場の熱さは、24年12月3日に起きた、韓国前大統領尹錫悦による非常戒厳発令未遂事件によるところが大きい。ご存じのように、これは国会封鎖、野党議員逮捕を狙ったものであった。ただ一報を聞いた市民の動きは早かった。彼らは続々と国会大路に集まり、身を挺して軍による国会突入を阻止した。その後、韓国市民は大統領弾劾を可決させて独裁的保守政権を打倒し、新大統領を選ぶことになったのである。

私たちフランス革命史研究者は革命さながらの様子をTVやネットで「目撃」し, Kデモクラシーの浸透をあらためて知ることになった。それもあって今回の学会の個別報告には女性の政治結社、選挙、言論の自由、外国人、奴隷解放とアクチュアルなテーマがならんだ。私の基調報告「民主主義と独裁のあいだ」も現代の政治情勢を多分に意識したものだ。かくして私たちはクーデタ未遂と新政権樹立の余熱冷めやらぬソウルに集まったのである。

大統領選挙時の市民集会(ソウルの世宗路)

総合討論でも、フランス革命期の民主主義と独裁の関係が話題となった。革命が最も進んだ1794年にあったのはロベスピエール個人の独裁ではなく、仮に独裁という言葉を用いるなら、その責任は彼を支持していた国民公会や全国の愛国者に帰されるべきという私の主張は、会場を幾分ざわつかせた。また94年のジャコバン派、96年の総裁政府、99年のナポレオンはいずれも「『世論』に基づく政治を実現するために独裁を志向した」という逆説的主張も同様の反応を得た。そのうえで私は、民主主義と独裁を対義語として捉えるのではなく、これらは地続きのものと考えるべきと提言したのだが、1年前にクーデタ未遂を経験した韓国の人びとは自らの問題として引き受けざるを得なかったろうし、我われも胸に手を当てて考えねばならない。

歴史学は「過去を分析する」ものと思われがちだが、実際には現在起きている、あるいは未来に起きるだろう問題を一度「過去に迂回する」ことによって、より高次のレヴェルで考察する学問である。その意味で、2025年のソウルは民主主義の可能性と限界を語るのにもっとも相応しく、もっとも熱い場所だった。2026年はどこで語られるべきだろうか。アメリカ、日本、それとも…?

竹中幸史 

民主化運動の聖地 明洞聖堂