エウリピデスの歌

古代ギリシアの話です。紀元前5世紀のペロポネソス戦争中、アテネはシケリアのシュラクサイに遠征軍を送り致命的大敗を喫するのですが、その時捕虜とされた多数のアテネ人兵士が近くの石切場に送られました。その石切場では食事や水も満足に与えられず、ほとんどの捕虜は病気や栄養不良で亡くなってしまいました。けれども、中には攫われて奴隷に売られてしまったり、自分からこっそりと奴隷の仕事をする者もあったとのことです。売られた者は額に焼印まで押されたそうです。アテネの自由人としては耐え難い屈辱だったでしょう。次の引用は、これについての記述があるプルタルコスの『ニキアス伝』29の一部です。

しかし、彼らを助けたのは慎みと品格のある振る舞いであった。すぐに解放された者もいたし、奴隷所有者の尊敬を得てその元に留まる者もいたのである。エウリピデスのおかげで助かった者たちもいた。というのは、ギリシア本土の外側でエウリピデスの歌(τὴν μοῦσαν)を最も求めていたのはシケリアの人たちだったからである。彼らは、(アテネからの)訪問者があるたびに、ほんのわずかなメロディーや節回しを教えてもらってそれを記憶し、宝物のように大切にしてお互いに教え合うような人たちであった。さて、助かって無事アテネに帰還できた人たちの多くが、エウリピデスを表敬訪問し心からお礼を述べたと言われている。自分が奴隷の身分から解放されたのは、エウリピデスの詩を覚えている限り全部教えたからだ、と言う者もいたし、戦の後でさまよっている間(エウリピデスの)歌を歌う代わりに食料と水をもらっていた、と言う者もいた。(脇條訳)

彼らの命を助けたのは武器ではなく「ムーサの技」だったのです。ムーサは英語では「ミューズ (muse)」ですが、music や musium の語源です。ムーサたちは音楽だけでなく、哲学、詩、歴史、ダンスなど「音楽文芸」全般を司る女神たちです。まさしく、人文学の守り神と言ってよいでしょう。上の引用の中で「エウリピデスの歌」と訳した部分は、文字通りには「エウリピデスのムーサ」です。(ギリシア悲劇はその多くの部分で音楽(と舞踏)を伴うものでした。今で言うとオペラやミュージカルにあたります。なのでエウリピデスのような悲劇作家は詩人、作詞家であるだけではなく、同時に作曲家であり、しばしば指揮者の役割も果たしていました。とんでもない才能と言う他ありません。)

エウリピデスの歌が大好きなシケリア人たちの気持ちもよくわかります。私たち人間はみんな歌や音楽が大好きです。「三度の飯よりも」音楽が好きという人間も珍しくありません。そして、シケリア人にエウリピデスの歌を教えたアテネ人たちは、おそらくたった一度だけ劇場で聴いた曲を覚えていて、普段から口ずさんでいたのでしょう。

人文学は音楽など私たちが心から愛するものに直接結びついている学問です。こう言うと、「音楽が好きなら歌や楽器の演奏を習うとか、場合によっては音大に行けばいいじゃないか」と言う人がいるかもしれません。たしかに音楽の実践にはそれが必要でしょう。でも実践できるということと、本質を理解するということは同じではありません。なぜ音楽は私たちを惹きつけるのか。なぜ私はこの歌を素晴らしいと感じるのか。音楽だけでなく、小説や漫画、アニメについても同じような問いが生じます。簡単に答えが出る問いではありませんが、私たちはこれらの問いを出すことをやめられない。人文学はこういった問いになんとか答えを出そうとしているのです。やりがいのある学問だと思いませんか。

人文学部長 脇條靖弘