ドラマーが女性だった時代

前回はエウリピデスの悲劇に出てくる歌について書きました。(間があいてしまって申し訳ありません。)悲劇も含めて古代ギリシアの詩の多くは楽器の伴奏で歌われていました。古代ギリシアの楽器といえば、弦楽器のリュラー、キタラーと管楽器のアウロス(二本同時に吹くリード楽器)が圧倒的に顕著ですが、もちろん他の楽器もありました。パンパイプ、フルート、ハープ、トランペットの類や各種打楽器などです。打楽器の一つにテュンパノン(τύμπανον ティンパニの語源ですね)というフレームドラムがありました。もともと東方から入って来た楽器だということです。こんなやつです。(http://www.perseus.tufts.edu/hopper/image?img=1990.01.1120&type=vase)

テユンパノンを演奏する女

テュンパノンを演奏する女

おもしろいことに、テュンパノンは古代ギリシア(や輸入元の隣接するアジア)では女性のための楽器でした。この絵でも女性が演奏しています。(ちなみにこれはエウリピデスの悲劇『バッコスの信女』の一場面です。)ドラマーは昔は女性限定だったのですね。

逆に男がドラムを叩くことはどのように考えられていたのか。これについては紀元前3世紀半ばのものと思われる興味深い手紙が残っています(PHib 54)。

デモポンからプトレマイオスに宛てて。拝啓。何が何でもアウロス奏者のペトユスを、プリュギア(調)のアウロスとその他一式を持たせてこちらに寄越して下さい。もし支払いが必要なら払って下さい。こちらで費用を持ちましょう。それから、女形のゼノビオス(Ζηνόβιον τὸν μαλακόν)も寄越して下さい。彼にはテュンパノンとキュンバラとクロタラを持たせて下さい。女たちがお祭りするのに彼がいないとダメだと言うのです。彼には一番おしゃれな衣装を着て来るように言って下さい。(脇條訳)

この後手紙は、子供を連れてくるように、奴隷を捕まえたらこうしろ、チーズをありったけ送れ、新しい器と野菜も……というように続きます。どうもデモポンの家で大きな宴会をやるようです。その宴会に音楽家も呼び寄せているのですね。ちんどん屋を呼ぶようなものでしょうか。アウロスと並んで打楽器の名前(テュンパノン、キュンバラ、クロタラ)が出てきます。ちなみに、キュンバラはキュンバロン(κύμβαλον)の複数形でシンバル(cymbal)の語源です。

優美な「女形」と訳したμαλακόςという形容詞は、「柔らかな」という意味ですが、場合によっては「軟弱な」「女のような」という意味にもなりました。このテキストの注釈者(Grenfell and Hunt)によりますと、これはゼノビオスの単なるあだ名かもしれないけれども、彼のダンスのスタイルについて言っているのかもしれないとのことです。ゼノビオスはどんな人だったのでしょう。きらびやかな衣装に身をつつみ、女性たちのお祭りに加わって彼女らと一緒に優美なダンスステップを披露するドラムの達人だったのでしょうか。

ドラマーのイメージが変わりませんか。異文化を学び、自分の持っている固定観念を見つめ直すことは、人文学の大きな意義だと思います。

人文学部長 脇條靖弘