人文学部人文学科 歴史学コース 東洋史 宮古 文尋 FUMIHIKO Miyako
権威や常識やルールに立ち向かいたければ歴史学の学びが武器になります。
| 分野 | 中国近代史(清末政治史) |
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主な研究内容
中国近代史が専門です。中国の「近代」とは、欧米諸国の進出により、数千年の歴史を持つ伝統中国が変容を余儀なくされ、自らがどう変容するべきかを模索した時期です。そして、その模索は今もなお続いています。「伝統中国」とはどのようなものか、そして「現代中国」はどこに向かっているのか、双方を学び、考えるのが中国近代史研究です。
また、自分が今どうあるべきか、将来どうするべきかということは、自分だけを見つめていてもなかなか分かりません。他人を見ることで、自分の問題点や改善点に気付き、進むべき方向が定まってくるのではないでしょうか。似ているところも異なるところも多い、隣国中国の「伝統と現代」は、現代の日本を見つめ直すための格好の材料でもあります。
学問のことなど
僕は研究がしたくてというよりも、教員になりたくて大学教員になりました。小中高ではなく、大学の教員になりたかった理由の一つは、大学には教員にも学生にも、髪型や服装や持ち物の制限がないからです。
校則に基づき学生に制限を加える教員の髪型や服装や持ち物が洗練されているわけではありません。それどころか、そもそもそれらに興味すらないことがほとんどです。なぜ、ファッションについて知識も関心もないのに、それに関心を抱き始めた学生の感性に臆面もなく口を出せるのか。今もなお、理解できません。
彼らはおそらく、制限への順応が社会に適応するための武器だと考えているのでしょう。自らの趣味嗜好や主張を押し殺し、素直に従順に、大多数の、或いは権力者の意向に従う。何ら疑問を抱くことなくそれをできることが、日本という国において安定した暮らしを築くための、つまり権威や常識やルールに順応するための武器となると考えてくれているのだと思います。実際、髪型や服装の制限への順応を拒否した僕ができた仕事は、アパレルを除けば、単発の日払い仕事や少年院を出たばかりの子が集まる深夜清掃のみであり、その他では履歴書を渡すことすらできずに帰れと言われる始末でした。
しかし、歴史学の学びは新たな武器をもたらします。権威や常識やルールを変える武器です。承服し難いルールや常識を変えるよう声高に主張するだけでは事態は好転しません。それらは、どのような価値観が共有されていた時代と社会において、誰の都合で作られ、現在もその存続を望む者にとってどう好都合なのかを、考える必要があります。その上で現代の、或いは将来の社会にとって有益ではないのなら、それを利用する権力者の都合に合わせることが無益なら、現行のルールや常識は改めるべきだと、説得力を伴う主張をしなければなりません。
歴史学の学びは、そうした思考と立論と主張のプロセスを身に付けるものです。現代社会に疑問や不満がある、息苦しさや生きにくさを感じているなら、ぜひ歴史学を学び、そうした現状を打破する武器を身に付けてほしいと願います。
