「この子は大丈夫」:成績評価の一面性

ジェームズ・ハーンドン著の How to Survive in Your Native Land, 1971(Heinemann; 1997 Reprint版) を読み大変感銘を受けました。1959年から10年間の中学校の教員としての経験が綴られた本です。以前に紹介したウィリアム・ジンサーの本の中に冒頭部分が引用されていて、それが面白かったので買ってみたのですが(どうも日本語訳は出ていないようです)、傑作な体験談の連続は期待以上で、また教えること、学ぶこと、学校という制度の本質について深く考えさせてくれるものでした。

冒頭に出てくるのは、自分の意志を押し通すピストンという少年です。

細かいことは抜きにして、すぐにはっきりわかったのは、ピストンがやりたくないことをピストンはやらない、そして、ピストンがやりたいことをピストンはやるということだ。(p.10)

ピストンがやりたいことは何かといえば、絵を描く、恐い話を作る(あとたまに女子トイレを覗く)ぐらいで、とりわけ問題はなかったのですが、ある時小さな対立も起こります。

座る、ということが問題だった。— 私はまず全員を座らせてから話すと決めたのだ。ピストンは座らなかった。私はもう一度命じた。彼は意に介さない。私は自分が彼に対して話していることを指摘した。彼は聞いているという意思表示をした。そこで、私はいったいどうして座らないのかと尋ねた。彼は座りたくないと言った。私は彼に座ってほしいのだと言った。彼はそんなことは自分にとってどうでもいいと言った。私はとにかく座るように言った。彼はなぜと言った。私がそうしろと言っているからだと私は言った。彼は座るつもりはないと言った。私は、いいかい、座って私がこれから言うことを聞いてほしいんだ、と言った。彼は、ずっと聞いていると言った。これからも聞くけど、僕は座らない、と。(pp.10-11)

ハーンドンは同僚のフランクと二人でクリエイティブ・アーツ(CA)という特別な授業を始め、ピストンたち中学2年生を担当します。生徒の間で凧揚げが流行った時、ピストンは一人で黙々と巨大な凧を作り始めます。生徒たちの熱も冷めかけた頃、ようやく凧は完成します。あまりにも大きすぎてとても上がらないだろうという皆の予想に反して凧はみごとに上がりますが、墜落時に低学年の女子生徒たちを直撃しそうになり、理解のある校長もさすがに悲鳴を上げます。「あの凧だけは許さんって言っただろう!」

ハーンドンたちはCAに成績評価をなくします。またCAの授業時間中、生徒は教室に留まる必要がなく学校内のどこに居てもよいことにしました。これで生徒たちはさぞかし自由で生き生きとした姿を見せるかと思いきや、凧を上げたり、劇をしたり、一部の生徒は雑誌を発行したりはしましたが、しばらくすると多くの生徒が教室の中でも外でも何もやることがない(Nothing To Do In Here and Out There)と言い出します。特にグレッグという生徒に困らされます。グレッグは何もせず、何もやることがないといつも文句を言っている。教師の提案は全部馬鹿にする。授業中に他の授業をからかいに行く。トイレでタバコを吸う。

このグレッグの両親がとうとう学校に呼び出されて、校長、教頭、カウンセラー、教師たちとグレッグ本人を交えた面談が開かれます。みんなグレッグが「やらないこと」を並べ立てる。書き取りをやらない、理科をやらない、あれもこれもしない、買い物さえ(!)しない、と。

フランクと私は突然気づいた。グレッグは本当は大丈夫だ(Greg was really OK)、と。私たちは彼がいつも雑誌の照合作業を手伝っていたのを覚えている。私たちは彼がはしごを持ってきて電球の取り付け具合を修正していたのを覚えている。私が劇のためにどうしても取り付けたいと言った電球だ。私たちは彼がいつもクラスに生徒が何人いるかを知っていたことを覚えている。インフィニティ【クラスで出している雑誌の名前】を配るために人数を知りたかった時のことだ。私たちは彼がピストンの凧を校庭に運び下ろすのを手伝っていたことを覚えている。そして、私たちは彼が、何かやらなければいけないことがあるときにはたいていそばにいたことを覚えている。―――要するに、まったく突然に私たちは彼がとても助けになる、気のよくつく、責任感のある子どもだと気がついたのだ。そして私たちはそう言った。皆が驚いた。書き取りができたか。エジプトができたか。ブックエンドを作ったか。私たちは譲らなかった。彼は大丈夫な子どもだ(He was an O.K. kid)。(pp.38-39)

この出来事はハーンドンたちにとって大きな一歩でした。愚かにもグレッグを厄介払いすれば多少でも授業が改善するかもしれないなどと考えていたのに、実は彼はCAに必要な生徒だった。あの授業で一番どうしようもないと思われていた子どもが大丈夫であること、「彼は大丈夫だ」と自分たちが声を大にして言うことができること、そして、彼の両親に対しても「彼は大丈夫だ」と言うことができること、これらのことから考えて、あの授業も結局大丈夫だったんだとハーンドンたちは気づきました。黄金を見つけたとは言えないにしても、少なくとも大丈夫な授業だった、と。

私たち教員が生徒や学生を評価する尺度はなんと狭いものでしょうか。それは物事のほんのわずかな一面を切り取っているに過ぎないにもかかわらず、私たちは普段それに気づいていないのです。評価の尺度にたまたまうまく当てはまった「普通の」子どもたちはともかく、そこからはみ出した子どもたちに学校は何を与えるべきなのか。この後ハーンドンたちはそれを模索します。CAを捨て、本当に教えるべきことは何かを求めていく。紆余曲折を経てハーンドンたちは最終的に一つの確信に至るのですが、長くなりますので、続きは次回に。

人文学部長    脇條靖弘