人文学こそが「役に立つ」

前回スイッチボードの話をしましたが、私がこのシステムを知ったのは、ジョージ・アンダース著 You Can Do Anything: The Surprising Power of a “Useless” Liberal Arts Education, Little, Brown and Company (2017)という本の中に出ていたからです。あるアメリカ人(母親が日本人)の女性が大学を出た後、日本を訪れた時ある経緯から小笠原諸島の父島で(鶏に餌をやったり、ひたすら溝を掘ったりする)アルバイトをする。そうしながら、アメリカの企業に入社するための就職活動をするのですが、スイッチボードを利用して大学の同窓生から得たアドバイスが大いに役立ったという話でした。

この本は、タイトル通り、「役に立たない」と言われている人文学  (Liberal Arts)教育には実は「驚くべきパワー」があると論じているのですが、特徴的なのは、人文学のもっぱら実用的な「役に立つ」側面に光が向けられていることです。「学ぶこと」は何の役に立たなくても、おそらくそれ自体価値のあることでしょう。逆に、何を学ぶにしろ全く役に立たない学問はおそらくないでしょう。しかし、この本はただ実用的な側面のみに限っても、理工系の教育よりも(!)むしろ人文学教育の方が有用であることを多くの実例を交えて示そうとしているのです。

著者のアンダース自身も実例の一つになっていて、大学時代に受けた人文系の授業で、ドストエフスキーについて苦労してレポートを書いた経験が、現在のビジネスジャーナリストとしての仕事に大きく役立っていると言っています。

この本によると、人文卒の人たちは、多くのIT関連企業で重要な職についているだけでなく、大小さまざまな業種において優秀であるということです。たとえば、顧客対応の仕事でずば抜けた成績を上げている女性社員の話がありました。彼女は大学では文学専攻だったので、客の細々した事情を聞くのが苦にならない。顧客の言い分、場合によっては苦情を、彼女は親身になって聞くことができる。彼女にとってはどの人も小説中の登場人物のように興味深いのだ、という話でした。

スイッチボードの創始者も人文系(ロシア語専攻)出身だそうです。どうしてこのサービスを作ったのかという著者の質問に、彼女は「学生時代にこんなのがあったらよかったのになっていうようなシステムだから」と答えたそうです。

「理系の教育なんていらない、人文系をやればいい」なんて言うと理系の先生は怒るでしょうし、そんな単純なものではないことは分かっていますが、数理工技術系の学問に劣らず、人文系の教育は社会にとって必要なのだとあらためて認識しました。明確な答えが出にくい状況の中に置かれても苦にせずに探求を続け、自分で主体的に進む方向性を定める力が社会で求められており、それを養うことが人文教育の大きな意義なのではないでしょうか。

人文学部長    脇條靖弘