科学について書くこと

前回は『ナポリの物語』を題材に「書くこと」の意義について考察しましたが、今回は「書く」という技法そのものについて。

このところ英作文の技法について興味が出てきて、関連の本を何冊か読みました。E.B.White と W.Strunk の The Elements of Style はちょっと古いですが、日本語訳(『英語文章ルールブック』、荒竹出版、1985)もあります。いくつか読んだ中で特に面白かったのは、ウィリアム・ジンサーの On Writing Well です。人物紹介、旅行記、見聞録、スポーツ、芸術批評などのノンフィクションの書き方が主題なのですが、単なるテクニックの伝授ではなく「書く」ということの本質に迫る洞察に満ちています。

さらに、この本自体が魅力的な一つの読み物となっています。傑作ノンフィクションが豊富に引用されていて、どれも面白い。(続きを読みたくなって即座に注文してしまった本もあります。)さらに、引用以外の部分もさすがに作文技法に長けた作家の本ですから、巧みに構成されていて飽きることがありません。

この本の中の「科学とテクノロジー」という節は次のように始まっています。

人文系(リベラル・アーツ)大学の作文のクラスの学生に、何か科学のことについて書く課題を出すと、哀れな嘆きの声が部屋に響く。「嫌だ、科学だめ(No! Not science!)」と嘆くのだ。学生たちは苦難を共有している。科学への恐れ、だ。彼らは子供の時から化学や物理の先生から言われているのだ。君たちは「理系の頭」を持っていない、と。

大人の化学者や物理学者やエンジニアをつかまえて、レポートを書くように依頼すると、相手はほとんどパニックに陥る。「嫌だ、書くのはごめんだ(No! Don’t make us write!)」と彼らは言う。彼らも苦難を共有している。書くことへの恐れ、だ。彼らは子供の時から国語(英語)の先生から言われているのだ。君たちは「言葉の才能」を持っていない、と。

ジンサーはこの二つはどちらも不要な恐れであり、克服できると論じます。「科学は、神秘的要素を取り除けば、ノンフィクションの主題の一つにすぎない。書くことは、神秘的要素を取り除けば、科学者が自らの知るところを伝達する方法の一つにすぎない。」

二つの恐れに関しては、山口大学の文系、理系の学生にも似たような傾向があるように思います。しかし、ジンサーの言うように、(私も含めて)人文系の人間は科学について考え、書くことが、逆に、理系の人間は作文力をつけて自分の知見を社会に伝えることができるようになるはずです。

文理融合の教育や研究を目指すことが大学の目標の一つとして唱えられていますが、作文の題材と表現技法という面からの文理融合も考えられます。理系学部が提供する内容と、文系学部が提供する表現技法を組み合わせて、どちらの側の人間も科学について書くことができるようになる。そして、科学について書くことによって、自ずとそれについて考える力が向上するはずです。これを文理融合の出発点にすることも可能ではないでしょうか。

人文学部長    脇條靖弘