マルコムXとツチブタ

これまで、人文学を学ぶことによって健全な民主主義を支える力、また経済、産業界に貢献する力が得られることを述べました。人文学部に所属する人間は、ことあるごとに「人文学を学ぶことが何の役に立つのか」と問われる立場にあり、その問いに答える点でこれらは非常に重要です。しかしそれ以前に、何であれ学ぶことは「役に立つ」ことを抜きにしてもそれ自体価値を持っていることを忘れてはなりません。

マルコムXの自伝(中公文庫に日本語訳あり)にツチブタ(aardvark)についての印象深いエピソードがあります。マルコムXは故郷を離れてボストンに出た後、ニューヨークのハーレム地区でペテンと不法行為で生計を立てる「ハスラー」になり、賭博や麻薬にまみれた生活を送ります。彼はその後ボストンに戻り窃盗グループを作って悪事を重ねますが、結局捕まって6年間を刑務所で過ごします。この服役期間中の膨大な読書体験が彼を生まれ変わらせることになるのですが、ツチブタのエピソードはその発端に関わります。

収監された後、マルコムXは知識の豊富なある受刑者仲間に触発されて自分も本を読もうとします。しかし、どの本を手にとっても、その中のほぼすべての文にわからない単語が(「一つ」から「ほぼ全て」の間のある個数)ある。彼は辞書を手に入れます。「こんなに多くの言葉が存在していたとは」と彼は感動しますが、どの単語を学ぶべきかわからない。とうとう彼は行動を起こし、辞書を最初から書き写し始めます。(はじめはまっすぐ書くことさえできなかったといいます。)一日がかりでやっとのことで1ページ目をすっかり書き写す。そしてそれを繰り返し音読する。マルコムXはたちまち学びの喜びに取り憑かれてしまいます。覚えきれなかった単語を復習します。そして2ページ目に進み、同じように書き写し音読する。そして、とうとう辞書をまるごと全部書き写してしまうのです。

自伝の中で彼はこう言っています。

おかしなことに、今でも辞書の最初のページにあったあの”aardvark”が頭に浮かんでくる。辞書には絵があった。長い尻尾と長い耳を持った土を掘るアフリカの哺乳類で、アリクイが蟻を食べるように白蟻を食べて生きている。

マルコムXがどの辞書を書き写したのかわかりませんが、New concise Webster’s dictionary (1987年版)には最初のページにaardvarkがあり、絵も載っています。(ちなみに同じページには「算盤 abacus」も絵付きで載っています。)

 

この後マルコムXは本の虫になりました。図書館の本を借りて消灯後も廊下から漏れる光で朝方まで読書を続けます。服役を終えた後は、黒人のための人権活動で多忙を極めていた時期でさえも少しでも暇があれば本を読んでいたと言います。(「あなたの出身大学は?」と聞かれてマルコムXは「ブックス大だ(Books)。」と答えたそうです。)

自伝の協力執筆者のアレックス・ヘイリーは、完成に近づいた自伝の原稿をマルコムXに見せた時のことを回想しています。マルコムXが暗殺される前年(1964年)のことです。

また、刑務所に図書館があることを知った時期の原稿に目を通していた時、マルコムXは急に顔を上げて言った。「そう、あのaardvarkは絶対忘れないよ。」翌日の夜、彼は部屋に入ってくるなり、自然史博物館に行ってaardvarkについて調べてきたと言った。「いいかい、aardvarkは実は『地豚 earth hog』という意味だ。言っただろう、これは語根(root words)のいい例だよ。言語学(the science of philology)を学べば、法則がわかる。子音が形を失っても、言語間で同一性を保持するやりかたには法則があるんだ。」私が驚いたのは、この日のマルコムXのスケジュールは極めて過密で、テレビとラジオの両方に出た上に、演説もあったことだ。それでも彼はaardvarkについて調べに出かけたのだ。

マルコムXは、あれほどの行動の人でありながら、学びそれ自体にかけがえのない価値があることを知っていました。もしマルコムXに「aardvarkについての学びが何の役に立つのか」と尋ねたら、どう答えたでしょうか。その問いの愚かさを一蹴したに違いありません。学びは「役に立つ」かどうかとは全く次元の異なる価値を持つのです。黒人のための運動を導くマルコムXの驚くべき能力は、溢れる学びに裏打ちされている。その学びは「役に立つ」かどうかを気にするようなけち臭いものではないのです。

人文学部長    脇條靖弘