激励の辞

前回、窓を開けてから早くも長い時間が過ぎてしまいました。諸般の事情に鑑み、この部屋の次の「住人」の先生が開けられる時まで、卒業生・修了生へのメッセージの文字版を見ていただくことにいたしました。

卒業生・修了生のみなさん     人文学部長前任の高木です。

卒業ならびに修了、まことに、おめでとうございます。

みなさんの旅立ちにあたり、後輩の学生諸君六〇〇名、学部の教職員五〇名を代表して、一言、激励の言葉を述べさせていただきます。主として学部の卒業生諸君を念頭において話しますが、大学院修了生のみなさんに対しても言いたいことは変わりません。その点を汲み取ってお聴きください。

残念なことに卒業式は中止となりました。この四年という時間は、振り返ると短かったのでしょうか。いかがですか。思い起こせば、四年前、実質的に高校生であった皆さんは、入学式を経て大学一年生へと変身しました。それに対し、卒業式とは、大学四年の皆さんがしっかりした自覚を持って、社会人へと変身する通過儀礼となるはずでした。この、大人になる区切りの儀式に二千人の同級生と一緒に参加できなかったことは、思い出作りの機会を失った以上のショックであり、さぞや残念に思われていることと想像します。私は立場上、式の中止を決定する会議に参加していましたが、決して他大学に右へならへで結論を下したのではなく、皆さんの気持ちを察して目頭を熱くしたり、声を震わせて無念さを表明したりする先生もおられるという議論をへての、まさに苦渋の決断でした。

ともあれ、これも現実です。しっかり受け止めてください。大切なことは大人としての覚悟・自覚を持つことです。今日から四月一日までの間に、郵送されてきた卒業証書を前にして、過去の四年、あるいは、これまでの学生生活のすべてを思い起こし、自己反省を行い、その間の成功や失敗、喜びや哀しみ、さらには、そこで明らかになった自分の短所や長所を確認し、そのうえで、お世話になったすべて人に感謝するとともに、さあいくぞ、今こそ巣立ちの時だ、という決心をしてください。それで十分だと思います。

昔のことを話しても意味がないのかも知れませんが、かつて一九七〇年代以前、当時の若者たちは、卒業式に参加しないことに意義を認め、むしろ、そうした学生のほうが多かったような時代すらありました。彼らの立場からすれば、参加しないという選択によって、大人としての自覚をしていたわけです。それが正しい選択であったか否かは別として、そんな自覚の仕方もあったのです。
さらに、古代中国の思想家、荘子の考えによれば、人の一生などは、悠久の天地自然や宇宙の時間の流れのなかで見れば、ホンの一瞬にすぎない。そのつかの間の時間に、つまらない事柄の虜となって人生を無駄遣いせず、ありのままの自然の欲求に素直になり、寿命をまっとうすることに心がけるべきであろう、と荘子は言っています(『荘子』盗跖篇)。もう少し丁寧に話さないと誤解をうけるかも知れませんが、卒業式の中止という我々とっては一生の大事とすべき大変なことでも、数十億年という宇宙的な時間のなかで考えれば、極めて些細なことにすぎない、無視することすら可能である、ということです。
かくて、残念は残念ですが、前をむいてください。いや、実際には、こんな話は全く無用で、すでに多くの人が覚悟は終え、スタンバイの体勢にあることと確信しています。

さて、学生生活の総決算として、この一月に提出した卒論は、うまく書けましたか。もちろん、書けた人もいると思いますが、大半の人は、満足できていないのではないでしょうか。そもそも論文作成能力とは、今回の卒論と同じような作業を、膨大な時間かけ何回も繰り返すというを修練をへて、しだいに高まり拡大していくものであり、最初から完璧にできるはずはありません。完成度が高くなくても、気にする必要はありません。重要なことは、卒論にいかに真面目にとりくんだのか、ということ、その過程です。
一般に論文とは、研究対象をしぼり、対象に対して、先入観を持たず、忠実に、慎重に、継続的に研究を進める。内側から、また外側から深く観察し、論理的に分析するなかで、自分自身の結論を導き出し、順序よく分かりやすく客観的に表現する、こうした作業の結果が論文です。
しかし強調すべきことに、人文学の場合、肝心かなめの研究テーマは、外側にあるのではなく、皆さん自身の内側の感性と能力に基づき、皆さん自身が発見し対象化して設定するものであり、その解決もまた、過去の成果を最大限に吸収した上で、研究の手順や方法を含め、皆さん自身が自らの力で考えて実行することにかかっている、ということです。
詳しく言えば、皆さんの研究テーマは、当然ながら、それぞれ異なる専門分野の、いわば特殊なテーマです。一見、全くバラバラです。しかし、すこし視野を広げ、また深く掘り下げてテーマの持つ意味を考えると、それは二〇一六年から二〇二〇年の現代日本に生きた若者が、人を愛するとはいかなることか、人は信ずるにたるか、善とは何か、人間とは何か、社会とは何か、などなど人類の根本的な懐疑に収斂しています。ご本人からすれば、そんな難しいことは考えていない、少しちがう、と言われるのかも知れません。しかし、やはり本質的には、現代という時代が、皆さんに与えた課題と格闘をして、自分なりの方法で一定の解決を試みたということです。そうだと私は思います。
つまり、皆さんのテーマは、皆さんが日々の生活の中で、授業や読書の過程で、あるいはバイトやサークルなどにおいて、自分自身の感性に基づいて気づいたこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、憤ったこと、などと、深いところで重なっているはずです。それは、皆さんが自らを見つめることを通じて、現代社会が普遍的に抱える根本的な問題を発見したということであり、卒論とは、その一端に関する解決の試みであったと言えます。
無論、このような人文学の諸問題は、人間存在の根幹にかかわるぶん、たちどころに正解を導くことなど不可能です。試行錯誤して近づくことができるだけです。人類は古代から今にいたるまで、まさに問い続けている過程にあるわけです。こうした我々の研究においては、常に自らの研究内容や、考え方を問い直し、自分自身の正しさを疑い続ける誠実な姿勢が求められます。また終始一貫惓むことなく、最後まで一心不乱に考え続けるエネルギーや、全体を見通して何が大切であるのかを判断する能力も不可欠です。つまり自らとの絶えざる誠実な対話を通して解決にむけて努力する力、言わば人間力が求められるのです。真面目に卒論に取り組んだ人は、きっと自らの中に、その人間力があること、少なくともその萌芽と、それを成長させる楽しさと苦しさを体得できたと思います。その力を、意識的な努力の積み重ねにより大きくしていけばよいのです。

今後、皆さんは否が応でも、社会の様々な領域において、この日本を、さらには世界を支えていく存在になります。人類社会に待っているのは、コロナウィルスの克服だけではありません。絶対に避けられないのは、資源の枯渇、環境破壊、地球温暖化、民族ならびに宗教対立など地球規模での困難と危機を乗り越えていくことであり、また、家族や共同体の崩壊、倫理観の喪失、拝金主義・功利主義の蔓延など、人間内面での病理現象を克服していくことです。それらすべての課題を解決することは、究極的には、さきほど述べた人類の根本的な懐疑に取り組むことと同じであり、それが皆さんの手に委ねられているわけです。
人工知能AIは、こうした困難な課題に対処するため、恐らく極めて有用で不可欠の重要な手段であることはまちがいないでしょう。しかし、それはあくまで技術であり、一定の既知のルールや原則に基づくという前提のもとで機能するにとどまると思います。
未知の困難や危機といったルールを外れた想定外の状況に、即座に対応することはAIには不可能なのではないでしょうか。全くのカオスに対処するさい、最終的に求められるのは、人間力であるはずです。それは、まさに上で述べた、根本的な課題解決の試みとしての卒論作成を通して、皆さんが皆さんの中に存在することを自覚できた力です。今後、その力で、自分自身を、そして社会を、人類を強く支えていってください。

ただし、人類の根本的な懐疑が永遠に解決できないように、我々人間の理想を目指す努力というものが、最終的に完成することはありません。しかし、だからといって何もしなくてよいのではない。あらかじめ利害損得の計算を行い、無理だと判断して、何もしない、という生き方は選択してはいけません。最終的な目的地に着くことは不可能であることを知りつつも、自分の限界を自分で決めず、一歩でも半歩でも、たとえ一寸でも前に進む努力をすることが大切だと思います。しかしまた、自分の命を無駄にちぢめることは、ダメです。
今風の言い回しを借りて言えば、
今だけではなく、過去と将来のつながりのなかに、今をおいて生きてください。
金だけではない。金も大切であるが、それは手段にすぎず、それよりずっと大切なものがあることを常に意識してください。
自分だけではない。自分は社会の一員として、この社会を作り上げている。自分の成長は、社会を成長させること、自分の堕落は社会を堕落させることである、こう考えてください。
学生時代が終われば、数十年という時間があっという間に過ぎ去ります。結果ではなく、過程が大切です。納得できる人生をおくるのか、反対の人生で終わるのか、すべては自分にかかっています。闘うべき相手は、弱くて、臆病で、ずる賢い自分です。かの孟子は、次のような名言を残しています。天がある人物に大きな任務を降そうとする場合、まず精神的、肉体的な試練を与え、失敗と挫折をくりかえし、苦難をあじあわせる。それによって、その人を発憤させ鍛えて、あらゆる困難に堪えうる人間にしたてあげ、それまでに出来なかったことを可能とさせる。たとえ失敗し、間違えても、やり直して改めればよい。困しみ悩んだすえ、最後に立ち上がり、やる気が全身にみなぎる。その時、はじめて人は人生をよりよく生きる意味を悟る、と(『孟子』告子下篇)。困難にたえて前進する所に人間の成長はある。失敗や挫折が無ければ、大きな成功はない、と孟子は訴えています。
勇気をもって一歩一歩、自分を裏切らず誠実に進んでください。

なお、BGMは、脇條次期学部長率いる人文学部有志からなる、湯田温泉オールスターズでした。ありがとうございました。