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G 森野 正弘

「『源氏』の五十余巻、櫃に入りながら、『在中将』、『とほぎみ』、『せり河』、『しらら』、『あさうづ』などいふ物語ども、一ふくろ取り入れて、得て帰る心地のうれしさぞいみじきや。はしるはしるわづかに見つつ、心も得ず心もとなく思ふ『源氏』を、一の巻よりして、人もまじらず、几帳の内にうち臥して引き出でつつ見る心地、后の位も何にかはせむ。」(『更級日記』より)
  • 2011-06-23 (Thu)

平安の時空へタイムワープ(文:森野正弘)

 自分が大学の1年生だった頃に、同じサークルの4年生の先輩からよく聞かされた話です。「長谷寺には長い階段の廊下があってね。ぼんぼりがずぅーっと吊り下がっているんだ。夕暮れ時になると灯りがともされてね。そうすると、山の上の方まで点々と灯りが連なって、すごく幻想的なんだよ」と。私はその話を聞くたびに、宙に浮かぶ白いぼんぼりだけを頼りに山寺の奥へといざなわれてゆく光景を勝手に想像し、それ以来、長谷寺に行くなら夕方なのだと思い込んでいました。しかし、夕方に長谷寺を訪れるような旅行のプログラムはなかなか立てようもなく、縁の無いまま時が過ぎてゆきました。

 長谷寺は、平安文学によく取りあげられる場所です。『源氏物語』では、玉鬘や浮舟が参詣しています。また、清少納言(『枕草子』)・道綱母(『蜻蛉日記』)・孝標女(『更級日記』)といった名だたる女性作家たちもそこを訪れ、参籠した記事を残しています。小旅行としての「初瀬(はつせ)詣で」。「どうして平安の女性たちはこぞって長谷寺へ行き、そこに籠るのだろう?」という疑問とともに、いつかは行ってみたい場所として自分の中に留め置かれることになりました。

 それが今年になり、ついに長谷寺へ行く機会が巡ってきたのです。別件で京都を訪れた際に、半日ほど時間を持て余すことがあり、「そうだ、長谷寺へ行ってみよう」と思い立ちました。まったく予定していなかったことなので、どうやって行けばいいのか見当もつかず、ただ、京都駅から奈良方面へ行くにはJRか近鉄を使えばいいということくらいは知っていましたので、とりあえず近鉄の改札へ向かいました。ちょうど書店があり、そこでガイドブックを立ち読みしておおよその行き方を確認。大和西大寺駅経由で大和八木駅まで行き、大阪線に乗り換えて長谷寺駅へというルートになるらしい。片道一時間半くらいはかかりそうなので文庫本を買うことに。京都へ来ているということで、ご当地物の森見登美彦『夜は短し歩けよ乙女』を購入しました。第三章の「御都合主義者かく語りき」が秀逸で、京都大学の学園祭を舞台に喜劇が繰り広げられるのですが、果たして山口大学の学園祭ではこのようなゲリラ的企画が可能であろうかと思っているうちに長谷寺駅に到着。

 どうしよう、誰もいないぞ。でも、「観光地なのに閑散としている駅前」という状況には免疫がついているので、とにかく帰りの電車を時刻表で確認(これを怠ると後で大変なことになりますから)。駅で「てくてくまっぷ」なるパンフレットを入手して、いざ出発です。路地の階段をどんどん降りてゆき、こりゃ帰りは大変だと心配になってきた頃に国道に出ました。一応、「てくてくまっぷ」の通りに進んでいます。道路の反対側の路地には初瀬川にかかる橋が見えます。その橋を渡り、右手に折れ曲がるとそこはもう長谷寺の門前町でした。ナップザックを背負った老夫婦の姿が遠くに見え、ひとまず安心。道の左手西側には初瀬山があり、右手東側には初瀬川が流れています。その川の向こう岸には愛宕山が崖のように迫っていて、ここが谷あいの町であることを実感します。

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 万葉びとはこの地を「こもりくの」という枕詞を冠して表していました。柿本人麻呂の歌に次のようなものがあります。

  こもりくの泊瀬(はつせ)の山の山のまに いさよふ雲は妹にかもあらむ(万葉集・巻三・四二八)

 これは、土形娘子(ひぢかたのをとめ)を泊瀬山で火葬した時の歌です。つまりここは死者の葬られる地だったのです。「はつせ」というのも人生の果てに行きつく峡谷という意味の「果つ瀬」であったという説があります。この終末の谷で、人は命の果てた後、死という籠りの状態に入ると考えられたのでしょう。「隠(こも)り国(く)」という形容もそんなところからきたものと思われます。

 さて、そうこうしているうちに長谷寺に到着しました。拝観手続きをして仁王門をくぐると、そこには夢にまで見た登廊(のぼりろう)がありました。そしてぼんぼりも。日中だったので灯りはともされていませんでしたが、十分、十分。登廊は上・中・下の三層あり、階段の数は全部で399段あるとのこと。一直線ではなく、最初は右に曲がり、次に左に曲がるというジグザク道で、登り終えたかと思ったらまた次の階段が待っており、まるで迷宮のようです。確かに昇っているのだけれど、まるで地下へと降りていっているような錯覚に陥ります。

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 やがて本堂が左手上方に見えてきました。下から見上げると、お堂の基礎の木組みが露わになっていて、清水寺を彷彿させます。私の他にも参拝客がいるのですが、ちらほらといった程度なので自ずと黙する雰囲気が醸し出され、落ち着いてお参りできました。

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 ご本尊は、十一面観世音菩薩。とても大きいです。本堂の前には張り出しの舞台があり、峡谷を一望できます。舞台の欄干に身をあずけて冬の陽だまりを堪能していると、突然、法螺貝の音が谷間に響き渡りました。振り返ると鐘楼に数名の修行僧が登り、法螺貝を吹いています。なんだか得した気分になりました。夕方には来られなかったけれど、いいことあったなと。

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 法螺貝の音は正午の時を告げるものです。あんまりゆっくりもしていられません。15時頃までに京都駅へ戻る予定でしたから、逆算すると13時前後の電車に乗って長谷寺駅を出発していなければならないのです。境内の順路にしたがって参観を続けます。もう、当分の間はここに来ないだろうなと思ったので、お土産にお守りを買うことにしました。
 さあ、帰り道は大変だぞ。谷底まで降りて、そこから駅まで登るのだから。帰りしなに買おうと思っていた草餅も断念して、とにかく駅へ急ぎました。次第に汗ばんできて、マフラーを外し、手袋を取り、ダウンジャケットを脱いで、気分はもう、黄泉の国からほうほうの体で逃げ帰ってくるイザナギの命です。

 なんとか13時前に駅に着くことができ、プラットホームで電車を待つ間、長谷寺の受付でもらったパンフレットを何気なく見返していました。そうしたら気づいてしまったのです。「二(ふた)もとの杉」を見そびれたことを。これは、『古今和歌集』の歌に次のように詠まれた杉のことです。

  初瀬川古川の辺に二本ある杉 年を経てまたもあひ見む二本ある杉(巻十九・一〇〇九)

 歌意は、「初瀬川と古川が合流する辺りに生えている二本の杉。私たちも年を経てから再び会いましょう、二本並んで生えているこの杉のように」というもので、再会をモチーフとしています。『源氏物語』では、玉鬘と十八年ぶりの再会を果たした右近という侍女が、この古歌をふまえた歌を詠んでいます。道綱母も『蜻蛉日記』の中で「例の杉も空さして立ちわたり」(上巻)と記していました。ああ、「先達はあらまほしき」(『徒然草』)とはまさにこのことか。何年かしたら、再びここに来て、その時こそ「二もとの杉」を見なければと思った次第です。

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森野 正弘

人生のひと時、王朝文学を読み耽ってみませんか。

【コース】

日本・中国言語文学コース

【分野】

日本文学

【研究領域】

日本文学(中古)

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